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会報2008年6月号

「地無し延べ竹ごろ節有りの尺八」について 貴志清一


 今回は「地無し延べ竹ごろ節有りの尺八」について考えてみたいと思います。
 まず、「地無し延べ竹ごろ節有りの尺八」とは一体どんなものか分からない方もいらっしゃるかとおもいますので、戸谷泥古著「虚無僧尺八製管秘伝」を引用させていただきながら進めていきます。

(文中のpは「虚無僧尺八製管秘伝」の頁番号、○は私の本文です。)

p2 虚無僧尺八の特徴
(1)天然の竹の筒穴を狭くするため異物を附けることを「地盛り」または「地を附ける」といい、虚無僧尺八ではそれをせずに、竹の節を削りその残し具合によって調律する。(したがって“ごろ節”が残る)
 こうして作った尺八を「地無し」といい、虚無僧尺八は地無しである。
(明治30年頃から)管内へは、地漆を以て調律することが盛んに応用されてきたのです。

○明治30年頃と言えば1900年頃ですから、もう100年以上も地を置く製管が続いてきていることになりますね。

p3 普化尺八では、竹韻を重んじる。
竹韻は自然の竹に備わっているもので、一部だけの地盛りであってもそれを損なう。“製管術の発達というのは要するに管内へ塗る地漆の加減で調律する操作で、結局は竹韻に加えた泥韻という結果になる。”

○もちろん普化尺八でなくても、尺八とは本来竹韻を重んじるべきものだと思います。戸谷氏はここできっぱりと「地を附けるのは竹の音に泥を塗るようなもの」と言っています。尺八奏者はそれぞれ考え方もあるかと思いますが、傾聴すべき言葉だと思います。

p4 虚無僧尺八は「延べ竹で製管する」

○したがって、7節そろった竹材で丁度一尺八寸というのはほとんど無いし、またそれを要求しないのですね。延べ竹で西洋のA=442Hzというのは全く意味の無いものです。

p6 延べ竹は全くの一本の竹であるから竹全体が振動し、竹韻という言葉にふさわしい音色が出る。

○地無し延べ竹ごろ節有りの尺八を好んで吹いている私見ですが、確かに延べ竹は一本の竹が鳴っている実感がするものです。この実感は大変気持ちの良いもので、延べ竹を吹いた後中継ぎ管を吹くと何となく竹韻がしなくなったように感じます。

p6 地無し尺八は一本ごとに空洞の形状が違っているから、吹く人が尺八に合う吹き方を会得するまでは、音程も不正確であり、鳴り具合も悪い。しかし、長い間吹いていると、コツを会得するに加えて、内壁に無機質(砥の粉、石膏など)を含んでいないから、竹の繊維が音になじんできて鳴りが良くなる。これを(音の)「道がつく」という。

○その通りで、これに加えて戸谷氏は「ごろ節」のすばらしい効果を強調して節残し式についてp7で述べられています。

p8「節残し式」について
 節取り式では、共鳴体としての気柱は1個であるが、節残し式では、節によって気柱が区切られているから、複数でありかつその組み合わせもあり得る。それぞれ固有の振動数を持つから倍音構成が複雑となり、音色が豊かである。

○まさに、ごろ節のある地無し延べ竹は音色が豊かで吹いていて飽きがこないですね。また、良い音色を求めようとする気持ちが自然に湧いてくるまったく素晴らしいものです。
 ですから、私もよりこの節の効果を強調するために「地無し延べ竹ごろ節有りの尺八」というこなれない言い方をしています。題名の「地無し延べ竹ごろ節有りの尺八」とはまさにこの尺八のことなのです。



さて、ここで私が最近好んで吹いている尺八を紹介します。
これは、正真正銘「地無し延べ竹ごろ節有りの尺八」です。
銘はなく、伝来から分かるのですが80年ほど前の竹です。
 もちろん、延べ竹で7節きちんとありますから正寸管ではなく、だいたい2尺ほどの長さです。私の手元に来たのが今から23年ほど前です。 伝来により、大切にすべきものですので、1月に一度程度は息を通してきました。
 「り」(都山のハ:C)が低く、五孔のみ閉ざして演奏します。
 歌口、管尻から覗くとくっきりとごろ節が残っています。「ごろ節」などは普通の尺八愛好家や若い演奏家は見たことがないかもしれませんね。ここでは、管尻、歌口両方から見た「ごろ節」の写真を載せておきます。(IT版では省略)もちろん古い竹ですので、馬鹿でかい音なんか要らなかったのでしょう、手孔も大きくありません。
 ただ、最初に手にいれた方は既に亡くなられていますし、銘も有りません。ですから、もしかすると戸谷氏がp6に言うところの安物かも知れません。
「p6・・・市販の尺八にものべ竹の地無しがあるが、これは、中継ぎにし地を附けて調律しても高価に売れないと見極めをつけた安物であって、“ブッコ抜き”(節を抜いただけの意)と称する。そのブッコ抜きでも、本曲を吹くには、地盛り中継ぎよりは良い。」
 もしかするこれは戸谷氏の言う「安物」かも知れませんし、また低い確率ですが優れた製管師がたまたま銘無しで世に送った「名管」かも知れません。(姿があまり良くなかった理由で)
そんなことはともかく、この「地無し延べ竹ごろ節有りの尺八」は何ともいえない暖かい、人の心を安心させる音色がでるのです。
 この延べ竹がいい音だとは初めから分かっていたのですが、これではお稽古にも通えないし、華麗なコロコロもでない。合奏にも使えないし華麗な琴古流本曲向きではない。あれやこれやで、結局竹の保持の為に月に一度の息通しで来ました。

 そして実を言いますと、この竹は大変吹きにくかったのも原因です。この延べ竹を練習すると一尺八寸管や、一尺六寸管が鳴らなくなるのではという恐れが有りました。演奏会での吹奏も年に何回かあるのですから、普通の尺八の演奏水準を落とすわけには行かないという了見の狭いことを考え続けていました。

 しかし、「尺八吹奏法U」を自分自身の手引きとして練習してきた現在、3本の竹を時と所により同時に吹くことはさほど難しいことでは無くなってきました。(それには、30年という年月がかかりました。才能のある方なら数年で獲得できる能力なのでしょうけれど)

 今のところ私は、この「地無し延べ竹ごろ節有りの尺八」を練習の中心にしています。同時に一尺八寸管を手にしてすこし口を慣らし「巣鶴鈴慕」を吹き、また一尺六寸管を口にして「春の海」や「雨の水前寺」を復習することもしています。考えてみれば、海道道祖は短い一節切から物干し竿まで吹いたのですから、歌口の似た3本の尺八を吹くのはそう難しいことでは無いかも知れませんね。
 現在この「地無し延べ竹ごろ節有りの尺八」で琴古流本曲の「山谷菅垣」を中心に練習していますが、いずれはこの竹、もしくは他の優れた“地無し延べ竹ごろ節有りの尺八”で琴古流本曲全てを吹いてみたいと思いっています。
 ただ「とにかく」とは言っても、気になるのはこの今の「地無し延べ竹ごろ節有りの尺八」がどんな程度の竹なのかということです。これ以上の竹韻の竹があるのか、また、これは戸谷氏のいう「安物」なのか、知りたいところです。
 ただ万一、安物ではあっても、私の一尺八寸管、日本を代表する製管師さんが作った高級管よりもこの「地無し延べ竹ごろ節有りの尺八」の方が数段音色がいいということを申しましてこの文を終わらせていただきます。


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