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会報2008年12月号
神令氏の「琴古流手続(池田一枝)の考察」は必読論文です

貴志清一


 世阿弥の「秘すれば花」を間違って解釈し、公開すれば尺八界全体のレベル向上になることでも隠し続ける体質がこの世界に見られます。

 しかし、神如道師のお孫さんにあたる神令氏は200年ほど前の稀観資料「尺八琴古流手續」「琴古流手續」を公開し、しかもその詳細な研究を発表されました。

 これは、東京芸術大学大学院音楽研究科に提出された修士論文です。それが大変貴重な論文だということで虚無僧研究会の機関誌「一音成仏」に転載され、幸いなことに虚無研会員の私も一読できたというわけです。 神令氏とは2回ほど会っていますが、確か初めて会ったときは尺八吹奏に関していろいろと話が弾んだことを記憶しています。 

 本論文の正確な題名は

「池田一枝筆 『尺八琴古流手續 乾』及び『琴古流手續 上の巻』に関する考察」というものです。

 本論文は序論に続いて以下のような構成になっています。

第一章 『尺八琴古流手續 乾』及び『琴古流手續 上の巻』に関して

第二章 琴古流尺八本曲譜と琴古流関係の諸資料に関しての考察

第三章 『尺八琴古流手續 乾』の内容に関する考察

結論

付録[1]『尺八琴古流手續 乾』池田一枝筆  (一部複写)

  [2]『琴古流尺八本曲譜 乾』三浦琴童著 (一部複写)

 ところで、この資料を書き記した池田一枝は1758年生まれです。初代黒澤琴古が1710年生まれですから、初代琴古は存命で、50才ぐらいの年に一枝が生まれています。池田一枝は宮地一閑に師事し、その後一閑の下知で二代目琴古に師事しました。一月寺、鈴法寺両寺の吹合を19年間勤めました。

 この200年ほど前に書かれた『尺八琴古流手續 乾』の、たとえば図版「虚空鈴慕」の譜を前にして山口五郎師のCDを注意深く聴いたとき「あっ、ほとんど同じ演奏だ!」と叫びそうになりました。すなわち、私が吹いている本曲の型です。(私の師は松村蓬盟師で山口四郎師に師事されましたから、山口五郎師とは兄弟弟子にあたると思います。)(IT会報では図版等は省略) 

 もちろん私の演奏は音楽性、品位において山口五郎師と比べようもありませんが、自分の吹いている本曲がほとんど200年前と同じだということに深い感銘を受けたのです。

 さて、この論文の内容は実際に読んで見ていただければよろしいのですが、私が特に印象に残った箇所を抜粋させていただきます。 あわせて、神家に生まれて赤ちゃんの時から尺八を空気のように感じていた令氏が当然のように思っていることでも、それがなかなか一般の尺八奏者にとっては大切なこともありますので、それも記させていただきます。(頁番号は「一音成仏」のものです)

○p.26この譜は文政六年(1823年)に岸和田藩の“一呂”に池田一枝が与えたものだとあります。私の勤務先(平成21年3月を以て退職し尺八の演奏と指導に専念しますのであとわずかなのですが)が東洋の魔女で有名な貝塚市で、岸和田市は隣接の市です。私の住んでいます泉南市もほとんど江戸時代は岸和田藩が知行していましたので、なかなか感慨深いものがあります。微細になりますが、だんじりで有名な岸和田市に荒木町がありますが、郷土資料によりますと、ここに明暗寺の出張所があったと記されています。

○p.52 『尺八琴古流手續 乾』と現行の琴古流本曲の相違点
 @指穴が逆で、裏穴を「一」として表の穴は歌口に近い方から「二、三、四、五」と数える。ですから、今の“一打ち”は“五打ち”になります。
 A各符号の下に「引」という字の右側の棒を引き延ばした印は音を伸ばすと言う意味である。

 神令氏はさらっと書いているのですが、これは極めて重要な事項です。 三浦琴童譜ではこの「引」をゴマ点をもって、一拍、もしくは二拍に記しています。しかし、それは西洋音楽的な記譜法の一拍でも、二拍でもないのです。これは強調してもしすぎると言うことはありません。

 実際、素晴らしい演奏家であった山口五郎師ですら、このゴマ点に振り回されていたのです。勿論、山口四郎師の子で伝承の家に生まれていますから機械的に一拍、二拍とは演奏していません。実際、三浦琴童譜では「ツロー」の「ツ」は半拍表示ですが、堂々と一拍十分に取っています。全てのナヤシの前の音は琴童譜では一拍ですが、これも2拍ほど伸ばしています。それに当然ですが私も無意識的にしている「一拍の長さにゆらぎ」があります。まさに、この拍の“ゆらぎ”が本曲を本曲らしくしているです。

 ところが、山口五郎師はフレーズの最後の音を、ややもすると2拍なら2拍としていることが多いのです。本来、「引」でフレーズの動きで長く伸ばしたほうが良い場合でも、2拍ほどにまとめています。それによって惜しいかな、聞いている方は「アア、何でそこで終わるの?もう少し伸ばしてくれないの、音楽的にもそこを伸ばした方がいいのに・・・」という欲求不満がたまる場合があります。女性の言葉みたいですが「ああ、なんでやめるの!」という感じでしょうか。これがまさにゴマ点で楽譜を律した三浦琴童譜の罪悪だと思います。

 これがなければ、本曲を国際的に見ても素晴らしく芸術的な水準で演奏した山口五郎師の演奏がもっともっと良くなったと思うのです。まったく惜しいことです。

 三浦琴童がゴマ点で楽譜を律したことを批判しましたが、実は琴童自身「ゴマ点で本曲を律してはいけない」と楽譜のまえがきで書いています。それを引用しましょう。 

「 尺八本曲は古来幽玄を持って賞せられております。しかも禅味がありほとんど主観的に取り扱われておるので、各自の気分、その個性を十分に竹音に流れ出ます。故に本曲に拍子をつけて定規的にこれを点符で律することは或いは当を得ていないかも知れませんが、然し全然各自の随意に放任しておくことは終いにその楽曲本来の趣を失う畏れあるのみならず、連管にて吹き合わせするにも不都合を生じますから、先ずその楽曲の型を目標として根本的の配列と認めらるる拍子、及び吹奏記号を附することにしました。

 依って学習者は先づこれを基準として吹奏されんことを望みます。 但し呉々も言っておきますが、本曲に於いては外曲の如く拍子に囚われることを致しません。その主眼とするところは内容にありますが、伝来の型を個々随意に崩されることを防ぐと同時に、その大体を点符を以て示したもので、尚吹奏形式の楽譜に表し得ない微細な箇所その他、内容の扱い等に就いては親しく教授者に就いてその妙締を会得せられんことを望みます。」

 おわかりのように三浦琴童自ら、繰り返し「拍子にこだわるな」と言っています。それは、自分自身が師匠より伝承してきたことと、もともと長めの音符は「引」ということを周知していたからです。

 しかし、いくら「拍子にこだわるな」と書いていても後生の学習者は例えば今回のような『尺八琴古流手續 乾』などは知りませんから、勢いその意味が分からないと言うことになります。

 その意味でもこの神令氏の論文は、大変貴重なものです。

 因みに、「尺八譜、特に本曲譜を五線譜に直すことは本曲を破壊する物だ」と私などは思っているのですが、この三浦琴童譜の失敗がその教訓になるかと思います。 

○p52 霧海D鈴慕から始まる原本の翻刻は大変貴重です。私も江戸の文書は趣味で古文書講座にも何回も通ったので少しは慣れているのですが、特殊な用語が出てきますので、この翻刻はありがたいものです。

 これによって楽譜自体をきちんと読めますから、「ああ、このことか、この技法か」等々たいへんよく分かります。

○p68 『尺八琴古流手續 乾』本文の「・・長たらしく引張りすぎて吹くは、もっての外なる心得違いなりと、二代目琴古より一枝へ伝え来るなり・・」は、本当に参考になります。なんと200年前から本曲が長たらしくなり、ロングトーンの練習みたになってしまう危険性を指摘しているのはその通りです。

 三世荒木古童の「鉢返し」を聴いてみてください。尺八吹奏研究会HP上のリンク「尺八関連のSP盤 往年の名人たちのSPレコードが公開されています」 http://www.sepia.dti.ne.jp/shakuhachi/

 なんと長ったらしい本曲ですね。音楽的な感興など飛んでいってしまったような演奏です。このような演奏を200年前に注意しているのですね。山口五郎師は何かの機会のインタビューで「本曲にもリズムはあります」と仰っていましたが、まさにこのことを言うのだと思います。(それにしましても、最後の音は、音楽的な要求を満たすまで伸ばしてほしかったです。)

○p75「琴古流本曲は、かなり初期の段階でその形が完成し現在まで伝承されてきたと考えられる。」

 まさに、このことに私は感銘を受けたのです。

 幸い、河野玉水師の本当に本曲用と言える「地無し延べ竹ごろ節有りの尺八」を毎日吹奏させていただいていますので、この論文を契機により深い演奏ができるように努力していきたいと思います。

 ところで、大変悲しいことですが、去る2008年10月に二代目玉水師が肺炎のためお亡くなりになられました。私の為にと、お盆も返上して息子さんと二人で「地無し延べ竹ごろ節有りで丁度一尺八寸」という難しい尺八を作っていただいたのがほんの2ヶ月前で、まだまだその元気なお姿が脳裏を駆けめぐり、お亡くなりになられたのが信じられません。

 私の地無し延べ竹ごろ節有りの尺八が玉水師の最後に手がけた地無し管になってしまいました。息を通すまえに必ず裏穴横の銘に目がいってしまい、ややあって練習を始める毎日です。

 こんないい音の、現代管にも引けを取らない性能の地無し管ですから、師の名誉の為に、もっともっと演奏の機会の多い、極めて高い水準で吹ける演奏家のところに何故この竹が行かなかったのかな、と考えます。しかし、現実的にはそれを私が吹いているわけですし、玉水先生も「この竹をずっと吹いていってください。」と私に申し伝えたわけですから才能の無さは横に置いて、今は可能な限り自分が上達するしかないと自覚を新たにしています。

【お知らせ】地無し管試奏は終了致しました。

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