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インターネット会報2011年8月号

            江戸初期の「尻で尺八を吹いた話」から浮かび上がる尺八禅
                                      貴志清一
 「あなたは何故尺八を毎日吹くのですか?」という質問はなかなか興味のある問いでしょう。そこから得られる答えは個人によって千差万別だからです。
 しかし、一般に個人の“好み”の理由を問うことは無意味なことが多いことも事実です。私に関しては、「それは、毎日尺八が吹きたいからです。」というのが答えです。丁度「なぜ山に登るのですか」に対して「そこに山があるからだ」というようなものです。
 
 しかし、尺八に関してはもっと明確な理由を表明できる奏者もいらっしゃいます。たとえば、「禅の修行として、自己を鍛えるため」などはそうです。
 反対に、「学校の邦楽部にお琴を弾く女の子がたくさんいるから」尺八を始めたという例もなきにしもあらずです。
 尺八の良いところは、修行にしろ、クラブで楽しく喋るにしろ、そういうものを全て包み込んでくれる懐の広さなのだと思います。
 この尺八のふところの広さというものは、江戸時代を通じて存在しました。

 近世(江戸)の地方(じかた)文書を調べたりしますと、必ず「虚無僧が暴れて困るから、取り締まって欲しい」とか「不承不承、仕方為しに金銭を虚無僧寺に納めた」とかいった文書に出会います。
 しかし、人間社会ですから、そうそうみんなが悪いことばかりしているわけではありません。
@ 尺八は法器であり、これを吹奏することは座禅や読経と同じ行であり、吹竹が普化禅を修する行法であるという宗旨を信条として生きていた虚無僧もいました。
A 江戸時代に捏造した「慶長掟書き」に書いてある虚無僧、すなわち、自身は武士であり、浪人して一時的な身の置き所・世を隠れるための方便としての虚無僧もいました。当然、真摯な尺八修行はしないタイプでしょう。
B 趣味として尺八を吹きたいために入宗金と免許料を納めて尺八を楽しむタイプもありました。この愛好家達は「尺八により自己を鍛える」という、ほとんど@のタイプに近い尺八吹きもいました
 
C 同じ趣味としてだが、虚無僧の格好良さに惹かれ、虚無僧姿で市中をのし歩きたい為に、やはり入宗金と免許料を納めて虚無僧姿をする者もいました。そういえば、歌舞伎の団十郎扮する助六も腰に尺八を差して吉原へ出かけますね。

 このように、江戸時代ですら尺八吹きはいろいろなタイプの者たちがいたわけです。
 歌舞伎「忠臣蔵」の加古川本蔵はAに当たります。江戸中期の熊本の宇土藩主、いわゆる大名の細川来鳳はBですし、琴古流の幕末の名手:久松風陽もこのタイプです。
 Cタイプで遊侠の徒では雁金文七が有名でしょう。おなじく江戸時代初期では大鳥逸兵衛がいます。

 さて、この大鳥逸兵衛の話は三浦浄心著「慶長見聞集」というほとんど同時代のことを実話として記した文献に載っています。(巻六)
 この話で興味深いのは、普化禅の修行を一途にしている虚無僧が登場するからです。また、そう言う真摯な普化禅の徒と平行して大鳥逸兵衛のような遊侠の徒も尺八を吹いていることです。
 では、その所を解説と原文で紹介します。
 巻末に江戸時代写本の変体仮名の元の原文がありますので、是非その文に活字の原文を写して元資料に親しんでください。
(IT会報では写本資料省略)

 慶長(1596〜1615年)の頃、江戸の暴れやくざの頭目である大鳥逸兵衛がとうとう町奉行に捕縛されて、鉄の首かせ・足かせをはめられていた。他の犯罪者もあるだろうということで拷問の上白状させようとしたが役人達が責めあぐんでいるところへ大鳥逸兵衛は「私が物語をして役人さん達の眠気をさましてあげましょう」と、喋り始めた。

「我武州八王寺の町酒屋に有て酒を飲みしに、虚無僧壱人尺八を吹て門に立たり。我この者を呼び入れ
〈あらありがたの修行や、御身ゆえある人とみえたり、世におち人にやおわすらん〉と酒をもてなし、
〈この一兵衛も若き比は尺八を吹たり、虚無僧の尺八一手望み也〉といえば、此者、曲手一手吹たり。
 我聞きて打笑い、尻をまくり上げ尻をうちたたき
〈虚無殿の尺八ほどは、われ、しり(尻)にても吹くべし〉
といえば、虚無大きに腹をたち、
〈無念至極の悪言かな。我いにしえは四姓の上首たりといへ共、今は世捨人となる。然れども先業をかへり見、貧賤をなげかずして仏道の縁に取付、空門に思ひを澄まし、内に所得(うるところ)なく、外に所求(もとむるところ)なく、身を安くして普化上人の跡をつぎ、一代教門の肝要、出離・解脱の道に入、修行をはげますといへ共、悪逆無道の一言にわれ、(瞋)しんの(炎)ほのふやみがたし。姿こそ替れども所存において替るべきか。是非尻に吹かせて聞くべし〉と言う。
此一兵衛も、
〈尤、しりにて吹くべし〉といへば、
互にかけ物をこのみしに、虚無云けるは、
〈親重代伝はる吉光の脇ざし一腰持たり〉とて座中へ出す。
此一兵衛も
〈こしの刀を出すべし。此刀と申は、われ、(下原)したはら鍛冶を頼み、三尺八寸のいか物作りにうたせ、“二十五までいき過たりや、一兵衛”と名を切付、一命にもかへじと思ふ一腰を出して、
 町のもの共両方のかけものを預り、
〈一兵衛が尻にて吹(く)尺八きかん〉と云。
 其時我、虚無が尺八をとってさかさまに取なおし、尻にてふきければ、皆人聞て、
〈実に虚無の口にて吹たるより、一兵衛が尻にてふきたるが増りたり〉といへば、我、此あらそひに勝たり。
 各々(役人のみなさん)、斯様の事に訴人あらば八王寺町の者共へ尋ね給え」
 このように捕らえられている大鳥逸兵衛が語った
(以上)

 これが原文の一部です。
本文中の「口で吹く」というのは尺八の歌口から吹くという、通常の吹き方です。それでは、「尻で吹く」は?
 察しの良い方は既に分かっていると思いますが、これは「管尻で吹く」ということです。今の尺八は管尻が太いので管尻から吹くのは難しいのですが、この時代、虚無尺八といえば、節が3つの三節切(みよぎり)でした。三節切は管尻と雖も通常の竹の部分ですので、ビール瓶を吹く要領で音が出ます。指孔の操作は難しいですが、工夫すればゆっくりした音の流れで即興的に演奏できます。
 大鳥逸兵衛はそれをしたのでしょう。そして、その演奏(というより音調べ)が当の虚無僧の演奏より上手かった、すなわち、虚無僧の演奏がひどかった、ということです。
 この資料はいろんな事を語ってくれます。
特に、演奏力はともかく、吹竹が普化禅を修する行法であるという宗旨を信条として生きていた虚無僧もいたという極めて説得力のある資料です。 もちろん、現在でもその伝統は生きていまして、息を吹き込み心身を鍛練して修行されている人・グループが存在します。
 丁度、近畿では大峰山を駆けめぐり、自然と一体になることで一種、悟りの境地を獲得する修験者と同じ原理かと思います。

 私事になりますが、先月(2011年7月)に大峰山の稲村ヶ岳に登りました。一歩一歩息を吐き、吐いた反動で深い山の空気が体に広がることで何か心が癒される感じがしました。
 本当に、尺八は許容量の広いものだと思います。いろんな楽しみ方があり、いろんな考え方で演奏できます。尺八は本曲吹奏でなければダメだとか、尺八でジャズを演奏するのはジャズー(邪道)だとか云うのは止めてもっといろいろとお互いに認め合い、尊敬し合うべきだと思います。
 この「江戸時代もいろんな考え方で尺八を吹いていた」事実から、そう思った次第です。


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