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インターネット会報2012年4月号

久松風陽の「独問答」を読む(中)

△尺八に十二律具りありや、
○答 竹は長短細太に因て一律は具るなり、十二律はなし、十二律は天地間と人身とに有、天地間の律を暫らく管中に止むれば人身にかんず。かむずれば人身に具りある十二律自ら発す。されども其人の性質により律にさとき者あり、又うときものあり。うとき者は教るとも知ることなし。知る者は自ら知るなり、
(訳)
・さて、尺八についてですが、尺八はオクターブに半音ずつあるという12の律が具わっているのでしょうか。則ち、一越、断金、平調、勝絶、下無、・・・・上無までの12律です。
・尺八はその長短や細い、太いによって一つの基音は具わっている。長さと太さが決まっているのだからすべてを塞いだ音は一つで、12もない。音楽でいう十二律は天と地の間にある。また自分自身にも十二律は具わっている。 この世に存在する十二律を尺八によって、すなわち、指やメリカリによってそれぞれに対応した律を共鳴させると、体に感じるものだ。体に感じれば人間の内にある十二律の認識能力が働きその律の音を出すことが出きる。しかし、人によって、律=音の高さに敏感な人もいるし、疎い人もいる。疎い人はこの十二の音の高さ(律)を教えてもどうしても理解できない。また敏感な人は教えなくても分かるものである。

(注釈)上記の文はあくまでも、久松風陽が思っていることで、それが正しいか間違っているか、またはどちらとも言えないのかは別問題です。
 私(貴志)は「律=音の高さに疎い人もいるけれど、適切な訓練を積めば遅い・早いの違いはあるにしても、だんだん音の高さに敏感になることができる」と考えています。

△問、尺八に上下二穴、表四、裏一穴、節を七つと定め、丈を一尺八寸と極む、ひとつひとつ、よ(拠)り所ありや、
○答 尺八は禅器なるが故に、一尺八寸と定め尺八と号し一つ一つ名付時は天地陰陽より発(おこ)りて一朝に言尽すべからず、己が見識にて様々名付けたりとも、くだくだし。夫れを知りたりとて上手にもあらず、知らざればとて下手にもあらず、知りたき人は学んで知るべし、予は嘗て知らず。唯吹けば鳴るものと思ふのみ、
(訳)
・尺八には歌口と管尻の二つの穴があります。表に指穴が四つ、裏に一つ穴があります。そして、節を七つと決め長さを一尺八寸と決めています。その穴や節、また、長さに根拠があるのでしょうか?
・尺八は禅の修行の器で、その長さを一尺八寸と定めて「尺」と「八」をとって尺八と呼んでいます。穴や節に名前を付けるときは天地、すなわちこの世界の陰陽の気から類推して名づけるので一日や二日で言い尽くすことは出来ない。また、自分のたくさんの知識を以ていろいろとこじつけてみても、くどくなるだけだ。そのような知識を知ったからといって尺八が上手になるわけでもなし、知らなかったとしても下手ではないだろう。知りたい人は学んで知ったらいいだろう。私はそんなことは知らない。ただ尺八は吹くと鳴るものだとだけ考えている。
(注釈)
 この部分は、江戸時代の尺八について書かれた文書等を知らない現代人には意味が解らないと思います。
 尺八は禅器だから、尺八自体が壮大な世界を体現していると考え、穴や節にいろいろな名前や由来を考えたのです。
 塚本虚童『古典尺八及び三曲に関する小論集』p349に紹介されている尺八秘書(愛知県西尾市立図書館蔵岩瀬文庫)の図版がたいへん参考になります。たとえば歌口は「天地で言えば“天”であり一年で言えば“正月”にあたり、方角は“子(ね)”、密教の教えでは“金剛界”であり、ここは“乾胎門”である。」等々。会員のみなさんには岩瀬文庫原本のコピーの図を文末に添付していますので、時間のある時に解読してみてください。江戸時代の虚無僧や尺八吹きの精神を垣間見ることができるかと思います。

△問 竹に下穴より一二とかぞへ上るもの有。又上穴より一二と算へ下る人有、いづれを是として、いづれを非とせん、
○答 是とすれば何れも是なり。非とすれば何れも非なり。元来一二といふも人作にして、竹に天然備はりたるものにあらず、上より下るを能(よし)と思ふものはそれを是とし、下より上るをよしと思ふ人はそれを是とし、中より一二と算へたき人は中よりかぞへよ、予は下より一二と覚えたれば下より上るを是なりとす。奥妙に至らば下を一とする事分明なり。自得せば始めて夢の覚めたるごとくならむ、然れども人に対して穿鑿せず、無益の時日を費すをおしむ。
(訳)
・問う、尺八には孔を下の孔より上へ一二三四と数える人がいます。また表の上の孔から下へ一二三四と数える人もいます。どちらが正しいのでしょうか。
・答 その人が“正しい”と思うならそれは正しいし、“間違いだ”と思うならそれは全て間違いです。それは、一孔、二孔と名前を付けたのは人間で、別に尺八がもともと持っていたものではないです。上から一二と数えるのが正しいと思う者はそれが正しいのだし、下から一二三と上へ数えていくのを正しいと思う者はそれが正しいといえます。もし、中の孔から一二と数えたい人はそうしたらよいだろう。私は下より上に一二三四と覚えたので下より数えるのが正しいと思っている。しかし、尺八の奥深いところを極めた時には、下を一とすべきことは自然に分かってくる。分かったならば、夢からさめたような感じでその意味が会得できるでしょう。しかし、他の人がどう数えているのかは詮索しない。こういう議論はまったく時間も無駄というものだ。
(補注)
 著者の久松風陽は江戸後期・末期の琴古流尺八の名人ですが、彼は今と同じく下の孔より一二三四と呼んでいたことが分かりますが、そのころ、まだ確定はしていなくて、少々混乱していたことがこの本文から読みとれます。しかし、これより百数十年前、おそらく元禄頃の虚無僧尺八の一番古い教本「三節切初心集」を見ますと、表の上の孔から下へ一二三四となっています。また、一節切では1664年刊の「糸竹初心集」によりますと、この三節切初心集と同じく、表の上の孔から下へ一二三四となっています。
  
△問 尺八は竹の本を用ひ、一節切は竹の末を用ゆ、本末の違ひいかなる事ぞ
○答 本末の違、大にして論ずるに足らず、人心の大なる、天地とともに廣し。然れども自縛して動くことあたわず、汝がごとき井蛙の論をなす、笑にたへたり。往古七節あるを尺八と定めたるも人ならずして何ぞや。近世六節・五節あるを尺八と唱ふるも人ならずして何ぞや。今昔人心違ふ事なし。違ふ事有も道に熟せざるが故なり。節数長短は己が心に随ふを尺八とす。何ぞ竹形節数にかかわる事あらむや。事の実なるものは古きを破るべからず。物の虚なるものは古きになずむべからず。禅器の尺八有、又遊戯の尺八有。禅器の尺八は虚なり。遊戯の尺八は実なり。遊戯の尺八をもて遊ぶ者多くして、禅器の尺八を学ぶ者稀なり。予は禅器の尺八を修行す。故に長短節数にかかはる事なし。
(訳)
・問う 尺八は竹の根元を使って製作しますが、一節切は竹の上の方を使います。その根元を使うのと、竹の上の方を使うのとは、何か違いがあるのですか。
・答 竹の根元を使うのと、竹の末、すなわち竹の上の部分を使って製管するのとでは、全く違うのです。全く違うことは当然なので話にもならない。 人の心というのは大きく、目の前に広がる自然と同じように広い。しかし、心は自分では移動はできない。だから物事をしっかり把握できないで乏しい知識などでものを考えるのは井の中の蛙のようなものだ。それがあなただ。まったく笑うしかない。昔から七節あるのを尺八と決めたのも人間だ。最近六節や五節でできたものを尺八と呼ぶのも人間だ。今も昔も人の心というのは変わらないものだ。もし、今と昔では違っているというのであれば、それは尺八の修行が未熟だからだ。尺八の節数や長い・短いというのは、自分が“良い”と思ったらそれでいいのである。だから竹の形や節の数を気にする必要は全くない。目に見える実体のあるものは旧来のものを変えてはいけない。目に見えない真実のようなものは、従来の形や伝承に振り回されてはいけないのである。尺八には、禅器の尺八と遊戯の尺八というものがある。
 禅器の尺八は「虚」、すなわち目に見えない真実である。遊戯の尺八というのは目に見える実際の楽器としての尺八である。遊戯の尺八を弄ぶ者が多く、禅器の尺八を学ぶ者は少ない。私は禅器の尺八を修行しているのである。だから見た目の長短や節の数には全く気にはかけないのである。
(補注)
 この久松風陽の文章をみますと、現在は完全に滅び去った「一節切」が、江戸末期でも比較的知られていて、しかもその製管方法まで知られていたことが分かります。一般的に一節切は元禄頃(1700年)を境に滅んでいったと理解されていますが、楽器自体は江戸時代を通じて比較的身近だったのかも知れません。
(以下、第3回最終回に続きます。)

【当初、久松風陽の「独問答」は2回連載の予定でしたが、収まりきれず3回の連載になります】

【紹介】「2012国際尺八フェスティバルin京都」が6月1日〜4日に開催されますが、歓迎イベント等は5月28日から始まります。
 そして、国際尺八コンサートU6月4日(月)午前11時開演 京都芸術センター 11:00am-, ではヨーロッパ、オーストラリア、中国、北アメリカの尺八愛好家たちが夜まで演奏します。
特に5:00からの北アメリカ尺八コンサートの一番目は私の本曲演奏に大きな影響を与えた極めて優れたマルコ・リーンハードさんが「山越」を演奏する予定です。この演奏は絶対に聞き逃せないと思います。
 未だに根強い「外国人に尺八本曲なんて、わかりゃしない、まして演奏なんか無理!」という独断と偏見を見事に打ち破ってくれるマルコ・リーンハードさんの演奏を是非聴きに来てください。客席のどこかに私も居ると思います。
 他の演奏会、ワークショップも興味のあるものばかりです。そして、5月30日の歓迎コンサートは、一節切の演奏会です。私(貴志)も「安田」という復元演奏をします。当日お見えになられまして、私を見かけられましたら是非お声をおかけください。
国際尺八フェスティバルのホームページ  http://2012wsf.info/


【引き続きEメールによる尺八の悩み相談を受け付けています】
(ローマ字のxxxを@(半角)に変えて、ご送信ください。    kiyosanxxxdune.ocn.ne.jp
○ご質問に対して、順次回答させていただきます。
○ご質問者、内容等の情報は保護いたします。
○非難・中傷のメールは無視させていただきます。
○中傷・妨害等により、継続できなくなったときは中止させていただきます。
(この場合、最新の尺八吹奏研究会HPにてお知らせいたします)

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