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インターネット会報2012年5月号

久松風陽の「独問答」を読む(下:最終回)
付:江戸時代後半の基礎知識としての「虚鐸国字解(現代語読み付)」の紹介・頒布

今回は「独問答」の3回目、最終回です。引き続き、江戸時代末期の優れた尺八家、久松風陽の文章を読んでいきましょう。

△問 曲数三十六曲はいづれの頃、定まりたりや
○答 三代目琴古、予に語て、表裏三十六曲・秘曲三曲共、初代琴古定めたり、といへり。是等は予が預る所にあらざれば知らず。
(訳)
△問 尺八の曲が三十六曲ありますが、それらはいつ頃定まったのですか。
○答 三代目の黒沢琴古が私(風陽)に語ったところでは、「表裏三十六曲・秘曲三曲はすべて初代黒沢琴古が定めました」と言っている。しかし、このことは私の取り扱う範疇ではないので、知らない。
(補注)
 初代黒沢琴古は宝永7年(1710年)生まれで明和8年(1771年)に没しています。この初代琴古が定めたのが今に伝わる琴古流本曲で「鹿の遠音」のような秘曲も含みます。明和5年(1768年)の「江戸市中尺八指南者名簿」には初代とその子・2代目琴古(雅十郎)が載って居ますのでおおざっぱに見て1750年頃には琴古流本曲の内容がほぼできあがっていたと想像できます。2012年の今の時点から見ますと約250年ほど前のことです。因みに孫の3代琴古に師事した久松風陽は天明4年(1784)生まれで明治4年の「尺八名家懇望人記」(尺八番付)に生存(87才)が確認できます。

△問 曲に譜といへる物有。何れの頃、定まりたりや
○答 二代目琴古、門人一閑と譜を定めたりと聞けり。是も予が預かる所にあらざれば知らず。
(訳)
△問う、尺八の曲に楽譜というものがあります。これはいつ頃定めたのでしょうか
○答 初代の子の二代目琴古が、門人の一閑と二人で楽譜を決定したと聞いています。しかし、これも私の範囲外なので知りません。

△問 曲毎に譜面に違はず吹ものを上手とせんや
○答 然らず。譜面に不違吹者は、物覚へよき人にして上手とするに足らず、譜面の番人にひとし。わづかに三十六曲覚ゆるに難き事やある。大方の人だりとも一月に一曲は得べし。上手は曲数にあらず、一曲の上にあり。三十九曲は三十六曲なり。三十六曲は十八曲なり。十八曲は三曲なり。三曲は一曲なり、一曲は無曲なり。無曲は気息なり。気息は只虚無なり。然る時は何ぞ曲数にかかわる事あらんや。
(訳)
△問う、(琴古流)三十六曲・秘曲三、それぞれ楽譜がありますが、その楽譜に忠実に間違わないで吹く奏者を上手というのでしょうか?
○答え いや、そうではない。楽譜通りにきちんと吹けるだけの奏者は、単に物覚えがいい人間であって、上手とは言えない。丁度、楽譜の管理者のようなものだ。わずか36曲を覚えるのに、そう難しいことがあるだろうか。だいたいの人は一ヶ月に一曲は修得するだろう。すると、一年12ヶ月だから3年もあれば充分覚えてしまうはずだ。上手な奏者というのは覚えた曲数に依るのではない。一曲を深く理解し、妙なる演奏ができる人を上手というのである。三十六曲+秘曲三の39曲は36曲である。表・裏合わせて36曲は表だけの18曲といえる。その18曲は古伝三曲という普化尺八の根本曲である「虚空」「霧海D」「虚霊」の3曲に含まれるだろう。その3曲は、言ってみれば「虚霊」が代表するだろう。そしてその「虚霊」は無曲、すなわち“あるかないか漠然とした”響きだろう。そういう無曲は吹く人の禅的な気息、丹田より吐き出す気力の充実した息ともいえる。その気息は形も色もない虚無であり、無いが故にこの宇宙に充満している力のようなものだ。その宇宙もしくは自然そのものと一体となることを修行の要(かなめ)としている尺八だから、曲数の多さなどは、まったく関係ないのである。
(補注)
 この訳はかなり飛躍し過ぎた感じですが、お読みになる人それぞれの解釈をしてください。

△問 然らば譜面に違ふがよきや
○答 譜面に違ふは法外なり。譜を定めたるは尺八の乱るるを恐れてなり。初心より吹虚、己がほしい儘にする時は、竹音美しきに聞こゆれども、尺八の禅器たるを知る事なし。尺八を吹て尺八にあらざるを知らば、譜面にかかはるべからず。初心をして尺八の虚なるに導かん為に譜を定めたるものならむ。それを破るは法外ならずや。

△問 それなら、楽譜とちがって吹くほうが良いのですか?
○答 楽譜を勝手に変えて吹くのはとんでもない間違いである。本来人から人へ口移しで伝えてきたものを楽譜にしたのは、尺八奏者が各自、勝手気ままに吹くことを恐れてそうしたのである。初歩の段階から嘘を吹き、自分勝手に吹奏するのは、きれいな演奏に聞こえるのだけれど、尺八が禅の心を洗わす修行の器であることを知らない段階である。尺八を吹いているのだけれどそれが禅器の尺八でないならば、譜面などは不必要だろう。しかし、それではなくて、初心者を、何ものにも束縛されない悟りの境地とでもいうべき尺八禅すなわち「虚」に導くために楽譜を定めたのだろう。だから楽譜を勝手に変えて好き勝手に吹くのはもってのほかなのである。

△問 汝は譜面に不違吹や
○答 違はずして又大いに違へり。例へば汝も人、我も人なり。身体髪膚かはる事なくして又大いに違へり。これを以て譜面に違ふと不違との差別を思へ。
(訳)
△問 あなたは譜面をそのまま違えずに吹くのですか?
○答 私は譜面に違わずに吹きますし、また大いに違って吹きます。たとえばあなたも人間、私も人間です。身体髪膚は全く同じであっても、また全く違うとも言えます。この例をよく考えて、譜面どおり吹かない、譜面通り吹くの差を考えなさい。
(補注)
 この内容は尺八に限らず、すべての音楽について言えます。すなわち、「かかれた音符をそのまま何も考えずに音に変換しただけでは音楽にはならない」ということだと思います。

△問 然る時は何を以て、上手とも名人ともせんや、
○答 竹を活に扱ふもの、上手なり。名人は天然にして力の不及妙有、然れども学ばざれば名人の境界へ入る事能はず。我は竹となり、竹は我となり、虚に居て実に働くものをして名人とす。然る時は曲を吹毎に虚霊ならむ。虚霊の名を曲の要とするも虚なり。曲数に三の数をはなれざるも虚なり。虚無と号たるも又虚なり。虚に居て実に働くの修行は己と心とにあり。未練の輩に解難し。
(訳)
△問 譜面を単に音に変換しただけではどうしょうもないというのは分かりましたが、それでは、どんな風に吹く人を上手といい、また名人というのでしょうか?
○答 尺八を活(い)かすように吹く人が上手なのである。名人というのは自然体のままで普通の人の及びもつかないもの(妙)がある。それにはまず、尺八を吹き学ばなければそういう名人の境地へ入ることができない。その境地とは、自分が尺八になり、尺八は自分になり、自己と尺八の境目がない「虚」の状態になり、しかも実際に音として素晴らしい演奏になっている境地なのであり、それが名人の演奏といえる。その状態では、演奏する曲がすべて虚霊となる。だから虚霊と名の付いた曲(たとえば「真の虚霊」)を重要と考えるのも「虚」という境地が大事だからだ。三虚霊というのもこの「虚」が大切だからだ。虚無僧の「虚無」も「虚」に依っている。すべてを超越したような「虚」の境地にあって、しかも実際の尺八演奏の音もそれを表現しているという段階に至るには、自分の体と心の修行によるのである。このような高度な話は未熟な奏者には理解できないだろう。
(補注)
 ちょうど、この末尾の「未熟な奏者には理解できないだろう」に私は補足したいと思います。こうです。
「名人の境地というのは未熟な奏者には理解できないが、その未熟な人も修行・練習を重ね、適切な指導者に恵まれればいつかかならず理解できるようになるし、またその人自身、名人にもなれるかも知れないのである」

△問 当世、名人ありや
○答 一人もなし。其修行を知る人だに見当たらず。
(訳)
△問 今現在、そんな高い境地を会得した名人がいますか?
○答 一人もいない。その名人に至る修行法を知っている人すらいない。

△問 汝は名人成や、上手なりや、又下手なるや。
○答 予は名人なり、上手なり、又下手なり、名人の境界を知て入事不能、上手の場所を修行して至らず、極めて下手ならずや。
(訳)
△問 あなたは名人ですか、上手でしょうか、また下手なのでしょうか?
○答 私は名人であり、上手であり、また、下手ともいえる。名人という境涯を知っているがそこに入ることができないし、上手と言える段階を目指して修行しているが、まだそこまで至って居ない。だから極めて下手ともいえる。
(補注)
 ここの文章は極めて微妙です。一旦「俺は名人だ」と宣言しているのは、久松風陽の一つの本音だと私は思います。琴古流中興の祖といわれるほどの技量だったのですから、自分の尺八演奏がどのくらいかは客観視できたはずです。しかし、「俺は名人だ、ほかの連中は下手だ」ではお山の大将俺一人となり、あまりにも子供っぽ過ぎますから「俺は極めて下手なのだ」と付け加えています。
 当然次の質問は「あなたは名人と賞賛されていますが」という前提で始まります。

△問 当世、汝と誰とか比せむ。
○答 誰と比すとも、予、必ず及ばず。予と心と比すとも、予、心に及ばず。こころ又、予に及ばず。況や人と比すをや。思志念慮、皆予に随ひ一に帰す時は、予自ら上手とも名人ともならむ。唯心と予と道を修行して期の至るを楽しむ。夢々世人にかかはる事なし。竹に対して竹を吹くのみ。
(訳、省略)

(本文)問ふ人、黙居して口を噤む。
 ここに於いて、ひとり(独)問答の号をかうむらしむ。いかにせん、紙墨を費すの多罪を嗚呼。
 文政六年甲申年暮秋 江戸隠士風陽菅定晴述
(補注)
 文政六年=西暦1823年(この年7月、シーボルトが日本に着任) 


【江戸時代後半の基礎知識としての「虚鐸国字解(中巻)」(現代仮名付)の紹介・頒布】
 「独問答」の全文をお読みいただき、どんなご感想をお持ちになられたでしょうか。
 今回、この価値ある文献中、出来るだけ(訳)や(補注)で、その当時の常識を踏まえて説明させていただきました。しかし、あまりに煩雑になりますので解説は最小限にとどめました。
 たとえば、問として「普化禅師はいかなる人ぞ」とあります。そして次の問では「普化は尺八の祖ならずや」と、質問者自体「尺八の祖は普化禅師」ということを予め知っていることになっています。また、今月号で「三曲」というのを私が平気で「霧海D」「虚空」「虚霊」と訳したのも、これが「古伝三曲」として重んじられているという“常識”からそうしました。
 この江戸時代における尺八の常識に触れるのに最適の文献が「虚鐸国字解」(上・中・下、江戸時代後期刊)です。このうち、中巻が普化禅師の説明、古伝三曲の由来等々が述べられています。体裁は漢文(レ点、返り点有り)でその説明を日本文で割り入れています(ですから、国字解)。ただ、残念ながらその大事な日本文が江戸時代の変体仮名でかかれていますので一般の人には読みづらいと思います。しかし、尺八愛好家の方には是非一読してほしいと考えまして、原文枠のそとへ、現代仮名をつけました。
 もちろん、この「虚鐸国字解」の内容はすべて歴史的事実とは限りません。云ってみれば「尺八歴史物語」とでもいいましょうか。たとえば南北朝時代、虚無という名の虚無僧が南朝の楠正勝で、その挿絵が江戸後期の天蓋を被っているというのは今から見れば、歴史的事実とはいいにくいでしょう。虚無僧は元禄ごろはまだ深編笠をかぶり、顔はかくしていないのですから。(人倫訓蒙図彙)
 しかし、江戸時代の人々が「そう思っていた」ということは歴史事実です。江戸時代の人の心をさぐるというのも、これまた大切なことですので「虚鐸国字解」は偽書であるにもかかわらず、現代の尺八吹きの重要文献だと思います。
 いずれにしましても、これは私のところへ稽古にきて「霧海D鈴慕」を勉強している方々のために作成したものですが、尺八吹奏研究会参考資料として頒布もしたいと思います。
 体裁:A466ページ(紙ファイル綴じ済み)
注:国字は欄外に現代仮名に直して印字
頒価:千円(送料込み)
 申込法:ハガキに「虚鐸希望」と明記し、住所、氏名をお書きの上、事務局までお送りください。代金は資料到着後、郵便為替にて折り返し、お送りください。



【引き続きEメールによる尺八の悩み相談を受け付けています】
(ローマ字のxxxを@(半角)に変えて、ご送信ください。    kiyosanxxxdune.ocn.ne.jp
○ご質問に対して、順次回答させていただきます。
○ご質問者、内容等の情報は保護いたします。
○非難・中傷のメールは無視させていただきます。
○中傷・妨害等により、継続できなくなったときは中止させていただきます。
(この場合、最新の尺八吹奏研究会HPにてお知らせいたします)

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