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インターネット会報2012年10月号

尺八吹奏研究会32回演奏会(10/28)と一節切尺八コンサート(11/4)
                                             貴志清一
 時の経つのは早いもので1999年に第1回の演奏会を始めてから13年の月日が流れました。今回は第32回目になります。内容もあまり変わらず琴古流本曲に箏との合奏、そして尺八で吹く歌の曲というものです。少し変わったところは二尺四寸管で琴古流本曲を吹き、またこの長管で「与作」等の歌の曲を箏の伴奏で演奏することでしょうか。要項は文末をお読みいただければ幸いです。
 さて、一週間後の11月4日は平成24年秋季堺文化財特別公開の一環で
 顕本寺に於いて「一節切尺八と琴のコンサート」をさせていただきます。 顕本寺は戦国武将・三好元長(長慶の父)のお墓があることで有名ですが、それよりは安土・桃山時代の流行歌・隆達小歌を作った高三(たかさぶ)隆達が住んだ由緒あるお寺として名高いですね。
 室町の「閑吟集」に集められた小歌はよく一節切(ひとよぎり)、当時は単に尺八と呼んだ縦笛で伴奏されました。その伝統は長く隆達小歌もしばしば一節切と共に歌われ、またそれは元禄頃まで続きました。元禄時代に出版された「紙鳶(いかのぼり)」にもたくさん小歌の一節切譜が掲載されています。
 いわば一節切と隆達小歌は切っても切れない深い関係なのです。その由緒ある顕本寺で堺市の大きな秋のイベントの一環として一節切のコンサートをしていただけるのは一節切演奏者としての大きな喜びです。
 今年の京都国際尺八フェスティバルの一節切コンサートでも演奏させていただいた「吉野の山」も、そして隆達小歌の「菅笠節」も『糸竹初心集』から直接復元して演奏します。もちろんこれは歌の曲ですので糸方の菊紀美葵師に復元メロディーを歌っていただきます。
 一節切は1700年代には完全に滅びたことはご存知でしょうか。きわめて完成度の高いたくさんの一節切は蔵に入って朽ち、また一輪挿しの竹器にされ今ではほとんど残っていません。幸いに私は一本、古管の良い一節切を所持しています。日本の尺八研究家の第一人者の方のお骨折りで入手したものです。当日はこのオリジナルの一節切で復元演奏いたします。
 1時間程度のコンサートですが「何故一節切は滅びたのか」を基調にしてプログラムを組んでいます。遠方にてお越しになられない方のために以下、プログラム解説を掲載いたしますのでお読み下されば幸いです。
 なお詳しくはHPにあるパンフレット3枚目をおよみください。 
http://www.sakai-tcb.or.jp.sakaibunkazai.2012autumn/

(顕本寺の一節切コンサートについて↓)
http://www.sakai-tcb.or.jp/sakaibunkazai/2012autumn/pdf/03.pdf

平成24年秋季堺文化財特別公開 顕本寺:一節切尺八と琴のコンサート
  プログラム

○「安田」(一節切の本曲〈手〉)
 織田信長に仕えた後、一節切尺八中興の名手といわれたのが大森宗勲です。大森宗勲の師匠が安田城長といいます。「安田」という曲はこの安田城長が作曲したようです。時代的には戦国末から安土桃山の曲だと思います。
 なにか昔に失われてしまった音色と旋律のようです。

○「菅笠節」(歌と箏と一節切、または歌と三味線と一節切)
 ここの顕本寺の僧で、しかも歌の名手、作曲の名人として「隆達節」という歌謡集まで残している高三隆達の曲といわれるものです。
 一節切は当時の流行歌(小歌)の重要な伴奏楽器でした。しかし、安土桃山時代から江戸初期、沖縄から三味線が入り広まっていき、また九州の筑紫から広まってきた筑紫琴も参加し、歌に合わせて合奏するという楽しみ方もありました。
 
○「吉野の山」(歌と箏と一節切)
 江戸時代前期の有名な曲で、有名な松尾芭蕉もこの曲を俳句(発句)に読んでいます。(延宝五年、芭蕉34才)
 まづ知るや宜竹が竹に花の雪
(訳)名人宜竹の尺八で「吉野の山」を聴いていると、吉野の花吹雪が眼前に迫ってくるようだ。
(鑑賞)「吉野の山」という流行歌を歌い込んだところがこの発句の興のあるところなのである。
 この発句は補足説明が要ります。まず宜竹(ぎちく)というのは当時有名な一節切の名人の名前です。そして「吉野の山」は小歌という流行歌で歌詞は、
 “吉野の山を 雪かと見れば 雪ではあらでん やあこれの 花の吹雪よのん
 やあこれの”となっていて、桜で有名な吉野山の花吹雪の景色を詠んだ歌です。

○「アカシアの雨が止むとき」(箏と一節切)
 一休禅師が一節切尺八尺八を吹いたことは「狂雲集」でもわかるのですが、それいらい室町時代を通じて一節切尺八は大流行します。小田原の北条早雲は家訓で「尺八を吹くような人間とは友だちになるな」と言っています。織田信長は桶狭間の戦いの前夜、神前で戦勝祈願のために一節切尺八を吹きましたし、信長に滅ぼされる朝倉義景は「もうこれまで」と悟って、せめて子どもの「愛王丸」だけでも城から落ち延びさせようとしたとき、自分の刀と愛用の一節切尺八を与えました。残念ながら愛王丸はほどなく追っ手に捕まり殺されてしまうのですが、その時の一節切は今でも「鳳墜」という銘で残っています。
 歴史に「もしも・・・」ということは控えなければならないのですが、あえて、「もしもこの室町・安土桃山・江戸初期に大流行した一節切が現代まで存続していたら」ということで、1960年にヒットした「アカシアの雨が止むとき」を演奏します。
 ただし、今の曲を演奏するには楽器の性能上、少し難しいところがありますので、その音色に注目していただければありがたいです。

○「千鳥の曲」(箏と尺八)
それでは何故一節切尺八は完全に滅びたのでしょうか。
 いろいろな要因によって一節切尺八は滅びたのでしょうが、滅ぼした原因の楽器は今の尺八です。すなわち、虚無僧が使っていた普化尺八です。
 普化尺八に関して、1500年ごろの成立の「三十二番職人歌合」の図には薦という、後に虚無僧になる遊芸の人々が一節切尺八より少し太い、やや長い尺八を吹いています。すると、1500〜1700年ですから、文献上でも200年の長きにわたって一節切尺八と普化尺八(現代の尺八の元)が併存していたことになり、1700年ごろから急に一節切尺八が絶滅する理由が分からなくなります。
 結論的に言えば、一節切尺八も普化尺八も吹き方は大して変わりませんので、一節切愛好家がみんな普化尺八へ移行していって、結果として一節切尺八は滅んだと私は考えています。
 その理由は、普化尺八の方が、楽器として優れていることを当時の尺八奏者たちが発見したからです。すなわち、管が長くなりますから、音域も広くなり、豊かな音、特に低音が出ます。また、管が太くなり指穴が大きくできますので、指による半音奏法が可能になります。
 簡単に言えば、いろいろな曲に対応でき、しかも音域も広く豊かな響きの普化尺八を選んだということです。
 ここでは元禄以降、都節音階(陰旋法)にも対応でき合奏にも困らなくなった例として「千鳥の曲」を演奏します。

○「春の海」(箏と尺八)
 ところが明治維新以後、日本の伝統音楽はまともに西洋音楽の波を被ります。
 しっかりした理論を持ち、他を圧倒する響きの西洋楽器に邦楽家たちは自信すらなくします。
 いきおい、邦楽も西洋の真似をせざるを得なくなってきましたが、その流れの中でも琴に関しては、ピアノでは絶対表現できない奏法と音色を追求したのが宮城道雄です。有名な「春の海」という曲は琴のパートをピアノで弾きますと何とも変な響きになってしまいます。「春の海」の琴は絶対琴で弾かなければならないのです。それに引き替え尺八の方は残念ながら絶対尺八でなければというものではありません。実際、当時のヨーロッパの名ヴァイオリニスト・シュメー女史が宮城道雄とこの「春の海」を合奏し、気に入ったのでレコードまで残しています。おそらく宮城道雄にとっては、尺八でもヴァイオリンでも、またフルートでも良かったのでしょう。
 しかし、音の立ち上がりが悪いとは言いながら尺八の音色で聴く「春の海」もまた一つの良い表現だと思います。

○「鶴の巣籠」(尺八独奏)を演奏します。
 さて、尺八も「春の海」のような曲ばかり吹いていては、フルートにとって代わられる心配があります。実際、現在、たいていの文化教室ではフルートの講座がありますし、日本の中・高の何千とあるブラスバンドに2人や3人、フルートを吹く生徒はいるでしょう。大人のフルート愛好家も含めると、その数は何万人となるでしょう。
 ひるがえって、現在、尺八を始めようとしても尺八愛好家の人口自体が少ないの、最初から先生探しという困難に出会います。
 悲観的な尺八奏者は「あと数十年すれば、尺八は滅びる」とさえ考えています。
 しかし、私は「当分の間、 尺八は不滅です」と思っています。
 その理由は、何よりも尺八は音色が自然だからです。材質が金属ではなく自然のまま生えた竹の上の方を斜めにスパッと切っただけの簡単な作りから出る音色は自然そのものです。これだけ工業化し人工的なものに囲まれているぶんだけ、尺八のように極限まで自然に近い楽器が出す自然な音色はより魅力的だと思います。
 そして、その自然な音色に魅力を見いだし、自分でも演奏したいという海外の尺八奏者も増えてきました。
 非公式な統計ですが、最近、日本の尺八人口よりも、アメリカ・ヨーロッパ、オーストラリア、中国・台湾のいわゆる海外の尺八人口のほうが上回ったと聞いています。
 ですから、たとえ尺八が滅びても、尺八を学びたければ、たとえばオーストラリアにいって勉強できるでしょう。旅費と滞在費用はいりますが、今や尺八は海外で学べる時代になっています。
 今年の6月に京都で国際尺八フェスティバルが開催され、何百人でしょうか、世界中から「尺八が好き、その尺八を生み出した日本を見ておきたい」という、たったそれだけの理由で外国の方々が集まりました。
 私も、今は絶滅した一節切尺八の復元演奏のコンサートに出演しましたが、小さな会場に7,80人の方が集まりました。そして、何とその中で日本人が10名程度、あとは好奇心あふれる外国の方ばかりでした。すなわち、これだけ熱心に尺八のことを考えている人々が世界中にいることから考えて尺八は当分の間は不滅かなと思った次第です。そして、尺八を愛する海外の人たちは最も尺八らしい、本曲(ほんきょく)と呼ばれる昔の虚無僧たちが吹いた独奏曲の修得に熱心です。「春の海」のようなフルートでも代替可能な曲には興味を持っていないようです。
 指だけ早く動けばいい、完全なピッチに合わせて、西洋楽器に負けない音量をぶあーーーーーと出そう・・・・、これでは尺八は滅びます。そうではなくて、尺八しか出さない自然な音、そして長年育んできた尺八独自の音楽。これさえあれば十分尺八は不滅なのではないでしょうか。
 フルートでは表現しようのない曲の例として「鶴の巣籠」という井原西鶴の「武道伝来記」にも曲名が載っている古典本曲を演奏します。

○ 「荒城の月」
○ 「与作」
 さて、尺八の命は「音」そのものと述べました。尺八の音を活かす曲として、日本の歌があります。
 最後に、2曲演奏させていただきます。
以上

【演奏会ご案内】尺八吹奏研究会 第32回演奏会
尺八〜本曲・現代曲・歌謡曲

日時 2012年10月28日(日)pm.1:30開場 2:00 開演
☆出演  尺八:貴志清一 杉本昇 菅原誠
     箏 :菊紀美葵
☆演奏曲目(予定) 
○「波間鈴慕」琴古流本曲(二尺四寸管)
○「瀧落」 琴古流本曲(尺八独奏)
○「鶴の巣籠」    〃
○「明鏡」杵屋正邦作曲(尺八・箏)
○「六段の調」(尺八連管)
○「雲井獅子」(尺八・箏)
○「へそを取られた雷」(箏)
○歌の曲、「荒城の月」「与作」
   「アカシアの雨が止むとき」(二尺四寸尺八・箏)

☆場所 泉佐野ふるさと町屋館(市指定文化財旧新川家)
☆交通 大阪難波より南海本線「泉佐野」下車5分
☆入場料:無料(要整理券)
☆申込方法・・・・・ 出演者に直接お申し出いただくか、または、
 下記の住所宛、ハガキに「32回希望( )人」と明記の上、代表者 の住所・ご氏名・電話番号をご記入の上、お申し込みください。
 折り返し整理券(ご案内地図付き)を送付させていただきます。
   〒590-0531 大阪府泉南市岡田2-190ー7 貴志清一


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