戻る

インターネット会報2012年11月号

安土桃山時代のポルトガル人が見た一節切(ひとよぎり) 貴志清一

 まず次の史料を見てみましょう。

「61 ヨーロッパのフルートは木製で吹奏するための口がある。日本のは竹製で、下も上もすべて開いている」
 −ルイス・フロイス著−『ヨーロッパ文化と日本文化』
             岩波文庫33-459-1入手可能

 ルイス・フロイスはポルトガルの宣教師で「日本史」という安土桃山時代を知る貴重な本を残しています。彼はまた『Europa e Esta Provincia de Japao』
という記録を1585年に残しています。1585年と言えば本能寺で信長が自刃した3年後にあたります。ポルトガルの図書館に眠っていたのが戦後公開され、日本でも『ヨーロッパ文化と日本文化』として訳出されました。
 尺八の歴史を研究する上にもたいへん参考になる本だと思います。

 さて、上記の文を考えていきましょう。
「ヨーロッパのフルートは木製で吹奏するための口がある」
このフルートは普通に考えられる横式のフルートではないのです。よく小学生が吹いているあのリコーダーのことです。
 1500年代のこの時代、単にフルートと言えば「縦式のリコーダー」のことを指しました。現代につながる横式のフルートはまだまだこの時期には十分な発達と浸透はしていませんでした。
 平凡社音楽事典p1406によりますと、
「リコーダーの最古の史料は12世紀の写本に描かれた絵で、西洋中世には世俗的な声楽曲の伴奏や合奏に広く使われていた。16世紀に入るとリコーダーのための理論書、教則本が出版されるようになった。特にトレブル・レコーダー(アルト)は、単にフラウト(flauto)と呼ばれ、後、バロック時代に高度な技巧を要する芸術的なソナタ、コンチェルトが作曲された」のです。
 ですから、フロイスの言うフルートは「木製のリコーダー」のことです。 したがいまして、リコーダーですから「吹奏するための口」があるのです。

 それでは、「日本の(笛)は竹製で、下も上もすべて開いている」は具体的にどんな楽器を指したのでしょう。
 この時代、観阿弥世阿弥がはじめた能・狂言が盛んでした。そこで使われるのは能管です。しかし「下も上も」と表記されているので横に吹く横笛タイプの楽器ではありません。
 そうすると、縦笛で、リコーダーのように吹けば鳴る 歌口を持っていない笛といえば、薦僧が吹いていた三節切(みよぎり)か一節切しかありません。ところで、この時期一節切は宴会には付きもので、小歌の伴奏になくてはならないものでした。戦国大名は、たいてい嗜みとして一節切を吹いていました。有名な織田信長も一節切を愛好していまして、とくに「のかぜ」と呼ばれた一節切は秀吉に、そして家康、その子の忠輝に受け継がれ、今も諏訪市の貞昌院というお寺に残っています。
 さて、織田信長にも面会したというフロイスの交流範囲から推測して、この文の笛は一節切だといえます。
 そうしますと、 
「61 ヨーロッパのフルートは木製で吹奏するための口がある。日本のは竹製で、下も上もすべて開いている。」
 という文で、ルイス・フロイスというポルトガルの宣教師が一節切を見、おそらくその音も聴いたと言えるのではないでしょうか。

 参考までに、どういう風にルイス・フロイスは能管について記述しているかを見てみましょう。
 同書p171
「(能楽において)われわれ(ヨーロッパ人)の場合、喜劇または悲劇を演じるときは優美な音楽を伴っている。日本では盃状をした小太鼓と二本の撥を用いる鑵鼓、一本の竹の横笛である。」
 ここでは、能楽に用いる笛は横笛(ピファロ)と書かれていて、縦に吹く一節切とは全く別のものだとわかります。

 ほかにもいろいろと面白い記事もあるのですが、とにかくこの『ヨーロッパ文化と日本文化』という安土桃山時代の日本を外から見た書というのは興味深いものです。
 
 1543年にポルトガル人が種子島に漂着し鉄砲を伝え、1560年には足利将軍の許可の下に京都に教会が建てられ、程なく1587年には秀吉のバテレン追放令が出されます。徳川幕府の方針の下、最終的には1639年にポルトガル船の来航が禁止され厳しい鎖国政策が始まります。その間約100年という年月、現代人が普通に考えるよりも、もっと西洋の影響が大きかったのがこの安土桃山から江戸初期の時代でした。
 美術史から見ますと、この時代は南蛮屏風という風俗画が流行した時代です。いわゆる南蛮人・南蛮(ポルトガル・スペイン)の風俗や人物は当時の日本の絵師にとって、絶好の題材になりました。
 細かいところまで忠実に異国の人物を描き出していることを見ると、絵師自身が実際に交易の光景を実見したことがわかります。
 南蛮屏風は慶長期(1596〜1615)が生み出した風俗画の一つですが、その後、代表的なモチーフであった南蛮船が描かれなくなり、代わりに交易の様子や南蛮人との交流など、友好関係をテーマにした作品が描かれるようになります。時代的には虚無僧の元になった流浪の尺八門付け人たちが集団を形成しつつある頃だと思います。
 この頃作成されたと思われる南蛮屏風のひとつに尺八演奏家にとって大変興味のある、しかもどうもよく分からない「風流踊図屏風」があります。
 これは個人蔵で、ほとんど知られていない作品だと思います。私も最近堺市立博物館の図版販売所で見付けたものです。
 さて、風流踊りですから、仮装して踊り、みんなに見てもらい自分たちも楽しむという場面です。
 そこではお囃子があり、楽器で演奏します。その使われている楽器が、なんと虚無僧尺八と同じ根節を使ったもののようなのです。この時代から数十年たった1700年頃でも虚無僧尺八は三節の三節切(みよぎり)が普通でしたので「この尺八のような楽器は何!?」と思った次第です。
 これは大阪在住の私も知らなかった「堺市立みはら歴史博物館」の平成18年秋季特別展に出品された個人蔵の屏風です。ここに図版の一部を掲載してよく見ていただき、何かお教えいただけることがあればご連絡してくださいますようお願いいたします。
(IT版では省略させていただきます。図の掲載された紙面会報11月号をご希望の方は80円切手2枚を同封の上、「会報11月号希望」とお書きの上、〒590−0531大阪府泉南市岡田2−190−7貴志清一までお申し込みください。)

【ご案内】
「尺八吹奏法U」ご注文の節は、 
邦楽ジャーナル通販 商品コード5241、http://hj-how.com
(送料別途)