戻る

インターネット会報2013年6月号


尺八愛好家待望の書、『竹を吹く人々』
−描かれた尺八奏者の歴史と系譜−泉武夫著
貴志清一

 今年の4月、尺八愛好家にとって待ちに待った本がでました。『竹を吹く人々』(泉武夫著)です。副題が
「−描かれた尺八奏者の歴史と系譜−」となっており、文字通り絵画資料でたどる尺八の歴史です。
 著者は一流の日本絵画史の研究者で現在は東北大学大学院研究科教授の泉武夫先生。すなわち
素人が目に触れた日本絵画の中の尺八を吹いている図を適当に集めて並べた、というものではなく絵画
資料の一級の研究者が調査・考察を重ねて体系的に尺八の歴史を述べたものです。
 しかも本文に述べている資料はすべてカラーの図版を使って分かりやすくそれでいて厳密な考証がなさ
れています。
 説明は研究書的ではなく、たいへん分かりやすい文章になっていますので私も手にしたその日のうちに
通読してしまいました。その後、自分のよく知らない時代のことなどは繰り返し繰り返し読んでいますが、
何回読んでも興味は尽きません。その理由はおそらく著者が自身、尺八をこよなく愛し、そして演奏もプロ
顔負けの技術を持っているからだと思います。今まで出したCDも『音の五彩』『音の星霜』『音の架橋』
と3枚を数え、それらは長年にわたって師事した横山勝也師の教えとご自身の研鑽の賜物だといえます。
 この辺の事情は「あとがき」に思わず表現されています。すなわち、
「・・・本書は・・・描かれた尺八吹きの姿を・・追いながら、そこに表れた生態なり歴史性なりを記述したものです。
事実認定には客観的にとりくんだつもりですが、心情的には、つい描かれた尺八吹きたちに感情移入してし
まいました。それも、できるだけ多くの人に、尺八に対する興味をもってほしいという願いからです。
 ・・・本書が尺八愛好家のみならず一般の歴史ファンのかたがたにも日本文化の意外な側面が提示できた
とすれば幸いです。(後略)」

 泉氏のいわれるごとく、この本は尺八を通して日本文化の意外な側面が提示されています。
 まず取捨選択して掲載された図版が51図という多さでしかも全部カラー版です。私もこの尺八関連の歴史的絵画資料は趣味が日本絵画の鑑賞ということもあって気をつけて今まで見てきましたが、それでもこの本が初見という図像がたくさんありました。

 ここからは私が興味を持った画像や説明を少しばかり述べさせていただきます。
 まずページを繰りますと口絵が鮮明な画像で現れます。「不及老人像 部分 霊源院」という尺八(一節切)
吹きの姿を単独で描いた肖像画です。
 袈裟を掛けていますが横に脇差しを置いていまして武将が出家した出で立ちで、右手に尺八(一節切)を
持っている図です。初めて見る図なのですが、まるで私の所持している一節切を勝手に取ってきて手にして
いるのかなと思うほどきわめて写実的に描かれています。藤巻をではなく、おそらくこの時代の定型であった
桜を細く三角に切った樺巻きを黒漆で固め、細工具合もきっちりと描き込まれているようです。
(実物画像をぜひ見たいのですが)
 しかも巻きの上に金泥で「木葉」と銘が施されています。
 この作品の制作年代や描かれた人物についての理解は素人では太刀打ちできないものですが、本書では
実に丁寧に解説されています。
 絵の全体的な説明のあと図の上の「賛文」の詳しい説明があり、これが大徳寺第百四十七世住職であった
玉室宗珀(1572〜1641)が元和七年(1621)年八月上旬に記したことがわかります。ここからは絵画史専門の著者ならではの詳しい説明になります。それは本文をお読みいただくとして、結論としてこの作品は慶長年間
(1596〜1615)の制作らしいことがわかります。
 そうしますと、こういう立派な肖像画を残せる人物はおそらく上流武士階級でしょう。これは織田信長や徳川家康という歴史的に有名な武将が一節切を愛したことを連想させます。朝倉義景が一乗谷で自刃する時、我が子に刀と一節切を持たせて落ち延びさせたことも思い合わせますと、いかにこの頃、一節切が流行していたかが自然と理解されます。

 尺八というと江戸時代に虚無僧が独占し、禅の修行のために吹奏したということが一般的な理解なのですが、この本では「風流踊の尺八」(十一章)にもあるごとく、俗世間の慰み物としての尺八についても解説されています。
 戦国時代の『言継卿記』のような文献資料、それに『洛中洛外図』等の絵画資料を駆使して見事に解説されています。
 その一方、十四章『普化尺八の始動』にあるごとく、修行としての尺八にも明快な解説がなされています。
 現在ではよく知られています天才画家とでも言うべき"岩佐又兵衛"の描いた「傘張りと虚無僧図」がp70に掲載されています。これは現在東京の根津美術館にあるのですが、長い刀を差し二人で托鉢する虚無僧を描いたものです。この図を見たことの無い方は、この図を見る為だけでも本書を購入した価値があると思います。江戸時代、偽書とはいえ延宝5年(1677)に公認された「慶長掟書」にも虚無僧は刀を所持してはならない、とあります。そして洛中洛外図にも見られるごとく、薦僧は例外なく刀は所持していません。
私の知るところ、この図だけが長い刀を持った虚無僧なのです。
 信長に反逆した荒木村重の子、自分の母親も縁者も処刑された不幸きわまりない幼少年期を送らざるを得なかった岩佐又兵衛は自分の姿と流浪の虚無僧を重ね合わせて描いたのかもしれません。実際、1615年の大坂の陣で大量の浪人があてども無い生活を強いられ、その一部が虚無僧に流れていったという事実をこの絵は示唆しているように思えます。

 そして第十六章「三節切の尺八」においては著者の尺八演奏家としての深い造詣が窺われます。現在、世に1冊しかないという「三節切初心書」からふんだんに引用し江戸前期の尺八の様相を描き出します。「三節切初心書」は古典文庫のシリーズですが一般書店では扱わないものですので入手はきわめて困難な本です。私の住む大阪府立図書館という大抵の書物はここで閲覧できるという図書館でも、他の古典文庫はあるのですが「三節切初心書」の入った『近世前期歌謡集』は蔵書していません。
 この『竹を吹く人々』を通して「三節切初心書」に触れるのも良いかと思います。この書の一部ですが、
「先はじめに筒音をよく出すべし。音色あしくてはおぼつかなし。調子もうつらぬ物なれば少ほそき竹にて筒音吹ならふが専一也」とあります。
 この本では現代訳もつけてくれていまして、
「(訳)三節切尺八を練習するに当たっては、筒音(乙ロ)が大事だ。それがうまく出せないようでは、音の響きがどうのこうのという段階にまで行かない。はじめは小竹(細い竹)で練習するのがよい。大きな竹を吹くということもあるが、太い竹は好者(手慣れた吹き手)になってから用いるべきだ。」

 なんと、現代の私たちにもそっくり当てはまる注意が述べられています。 初心者ははじめは「素直によく鳴る尺八」を使うという、もっとも基本的で大切なことが述べられています。未だに口(くち)をひん曲げて無理しなければ乙ロが鳴らない尺八が何万とあることを考えると、初心者指導に当たる師匠はこの言葉をよくよく考えなければならないと思います。 
 出入りの製管師が2本、安くもない尺八を持ってきて、2本とも師匠が自分で吹いても乙ロなど口を「へ」の字に曲げないと出ない尺八を弟子に、「新しい尺八が入用だと言っていたね。今日からこれを使いなさい。」といったことでは尺八界の将来はないでしょう。
 断固として師匠は、
「この尺八、2本とも素直に乙ロが出ない。作り直すか、割ってしまうかは任せますので、素直に鳴る尺八を持ってきて下さい。そうしないと私の弟子は上達しませんから」と言うべきでしょう。

 『尺八を吹く人々』からつい脱線しましたが、最後に、たくさんの尺八愛好家がこの本をお読みになられることを願っております。

【ご案内】
「尺八吹奏法U」ご注文の節は、 
邦楽ジャーナル通販 商品コード5241、http://hj-how.com
(送料別途)