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         琴古流本曲『吉野鈴慕』の問題点と解決
                        音声資料と楽譜資料付き
                                                                           貴志清一
1.琴古流本曲「吉野鈴慕」の原型としての「吉野の山」
 一節切(ひとよぎり)の基本的な文献は1608年と明記されている『短笛秘伝譜』ですが、その約50年ほど経った1664年に江戸時代の歌謡研究基礎文献である『糸竹初心集』が刊行されます。
 その中に、「吉野の山」という短い歌があります。よほど流行したとみえて糸竹初心集の20年ほど後にでた一節切の本「紙鳶」(いかのぼり)にも掲載されています。
 歌詞は、「吉野の山を 雪かと見れば 雪ではあらで 花の吹雪よの」というものです。今から見れば“名歌”とも思えないのですが、とにかく大いに流行したようです。
 こういう小歌は室町以来持ち運びの便利な一節切で伴奏されました。もちろん今と同じで、「歌のない歌謡曲」として一節切だけでも演奏されたのでしょう。知っている歌を上手な楽器演奏で聴くというもの捨てがたい魅力があるのは今も昔もかわらないようです。
 俳諧(俳句)で有名な松尾芭蕉はこの「吉野の山」を一節切の名手・宜竹の演奏で聴くのが好きだったようです。『六百番俳諧発句』に1677年の作として、
「まづ知るや宜竹が竹に花の雪」
意味:一節切の名人宜竹の尺八で「吉野の山」を聴いていると、吉野の花吹雪が眼前に迫ってくるようだと。「吉野山」という流行歌を歌い込んでいます。ここで、竹=一節切、花の雪=花吹雪です。
 この楽譜は国会図書館デジタルライブラリーにて閲覧可能です。

 
 
 まず、古管一節切による復元演奏をお聴き下さい。
(古管一節切銘「如山」演奏:貴志清一)
※音声mp3ファイル:一節切吉野山
http://www.jm3.org/bmbnt/music/326-3hitoyogiriyoshinoyama.mp3
 
2.さて、この「吉野の山」は一節切だけで吹かれていたわけではありません。時代的に1700年を境にして、その前後に出版されたと思われる「三節切初心書」という虚無僧尺八の原形である三節切(みよぎり)の本にも掲載されています。
 この「吉野の山」は、本当に広く、長く流行したのだと思います。
 この楽譜の運指を現在の指孔と対応しますとホは都山・琴古のツの中メリの高さを基準としています。現在でもツの音は若干低めでしょうか。この楽譜から昔の指使いの音高がきめられます。
 
 次に、地無し一尺八寸管で吹いた「吉野山」をお聴き下さい。
※音声mp3ファイル:一尺八寸吉野山
http://www.jm3.org/bmbnt/music/326-4hassunyoshinoyama.mp3
3.江戸初期の流行歌「吉野の山」から尺八本曲「吉野曲」へ
 さて、この「吉野の山」を一節切奏者が吹き、その多くは、おそらく三節切もで演奏したのでしょう。
 1677年、延宝5年12月18日に虚無僧が普化宗徒として幕府から公認されると、初めて偽書である「慶長掟書」が効力をもち、20年、50 年と経つ内に最終的には今まで誰にでも吹けた三節切・その延長である普化尺八が「武士以外は吹くこと罷りならん」ことになります。しかし、この「三節切初 心書」の頃は、まだまだ自由に三節切が誰にでも吹くことが出来たようです。
 虚無僧といってもこの曲は有名ですから、おそらく彼らは「吉野の山」を吹いたのでしょう。しかし、建前は禅の修行ですからだんだんゆっくりと吹き、最終的には「本曲」になったと思われます。
 樋口対山譜で「善哉(よしや)」=「吉野曲」です。原曲と音の動きが似ているところが見受けられます。
 
(「善哉」の谷北無竹の演奏をお聴き下さい)
※音声mp3ファイル:;谷北無竹
http://www.jm3.org/bmbnt/music/326-1tanikitamutiku.mp3
1710年生まれの初代黒沢琴古が若いときに、すでに存在した「尺八本曲 原吉野山」が京都にありました。それは、『琴古手帳』所載の「当流 尺八曲目、吉野鈴慕」の項で分かります。初代琴古はこの曲を京都の宇治にある吸江庵で“龍安”という虚無僧から習っています。(「琴古手帳」塚本虚堂編 p24) 
 今、琴古流の「吉野鈴慕」を聴きますと、一節切で吹かれた原曲とは別の曲のように聞こえます。それは、初代琴古が各地の本曲を編曲するとき に、当時の都市(たとえば江戸)に流行ってきていた都節音階(陰音階)を使ったからです。それまでは明るい感じの律音階でしたが、元禄を境に、ものすごい 勢いで都節音階が広まってきます。
 この尺八本曲の陰音階化は、その音楽により幽玄的な要素を与え、心を沈静化する働きをしました。三浦琴童も本曲集の序で述べている如く「古来 本曲は幽玄をもって賞せられてき」たのです。
 
4.「吉野鈴慕」の問題点
 琴古流本曲を修められた方は同感してくれると思うのですが、この「吉野鈴慕」はたいへん扱いにくい曲です。
 それは、この曲の3分の1ほどのところで、り中(りの中メリ)が出てきて、しかも甲のロと往復しますので、もちろん陰音階から離れてしまいま す。おまけに(り中)の次ぎに引く(音を低める)がでてきて、訳がわからない旋律になります。山口五郎師の労作「尺八の神髄、琴古流本曲36曲集成」の CDでは仕方なく、(り中)をりメリの高さで処理しています。
 しかし、初代黒沢琴古はまだ律音階と陰音階が併存していた時期です。律音階の「吉野の山」の雰囲気を残すため「引(A)-り中(H)-ロ(D)」としたのではないでしょうか。
 演奏例ではこの所を律音階に処理して演奏します。あわせて、一節切から三節切、陰旋法化のあとで聴く琴古流本曲が、時代の流れの中に位置していることが伝えられれば幸いです。
 
 最後に「吉野鈴慕」抜粋版を参考にお聴き下さい。
 (演奏:貴志清一 吹料:二代目河野玉水作、節残し地無し延べ竹)
※音声mp3ファイル:吉野鈴慕
http://www.jm3.org/bmbnt/music/326-2yoshinoreibo.mp3
※"抜粋版の吉野鈴慕"