会報 No.34

「琴古流尺八史観」を読むB 同行二人 貴志 清一

 このシリーズも第3回目を迎えました。さて「琴古流尺八史観」P177で す。嘉永5年といいますから1853年、丁度ペリー率いる黒船が浦賀に来た年 です。その年の「総門弟中江申渡掟書」の一条に
一、吹笛修行之節同行二人に限る可し毛頭卑劣之挙動有るべからず、志無之施 物押而乞受申間敷事

現代訳してみますと一つ。尺八を吹いて托鉢するときは必ず二人でしなさい。 決して卑劣な事をしてはいけない。志し(布施しようとする)のないのに、施物 を無理矢理脅してとってはいけない。 この同行二人はこの他にも「琴古流尺八 史観」P222、418にもでてきます。 この同行二人はいろいろと考えられ るのですが、必ず老若二人という決まりもでてきますのでおそらく、二人いれば そう悪い事はしないだろうという事でしょうか、読者の課題に残して置きます。 さてこの同行二人が「江戸名所図絵」に出てきますのでここに紹介します。何 でもない事なのですが、文献資料が実際の絵や事物と照合するという事はやはり 貴重でして私などは大事にしたいものと思っております。元の会報ではここに江 戸名所図絵が入っています)  

ところで、江戸時代に成立したほとんどの古典本曲は二人以上の連管で吹いて いた曲ですから連管の方がよりその良さが出るのではないかと思います。  江 戸時代の虚無僧寺では当然、日常修行替わりに吹く曲はみんなで吹いたのですか ら二人以上の連管です。また、繰り返しになりますが一月寺・鈴法寺・明暗寺と も二人で托鉢に出る事を定めています。 そういう中で生まれてきた音楽は本来 、個人が個性を出して感情移入をし歌いあげるものでは無いような気がします。 。 勿論演奏する分には自分一人で思う存分吹くのもまた良いものです。 しか し自分一人で思う存分吹いていても、聴いている人はそうは思わないことも多い と思います。同じような音の使い方で、似たようなフレーズ何十回となく出てき てやっと違う事をしているなと思ったら、単にオクターブ上で吹いているだけと いうパターンですから。  

さてその江戸時代から余り変わっていない古典本曲を一般の人が聞いても「い いなあ」と思うとすれば、それはどんな演奏なのでしょうか。 それには声明がヒントになります。  単にお経を5人10人で唱えているだけなのにその良さが再 発見され今や海外でも公演されています。 私も実際に高野山の声明を聴きまし たが、最初は各人が銘々の声でお経を唱えているだけで「何や、葬式みたいなも んや」と軽くあしらっていましたが、1分経ち2分経ちその肉声と、音が完全に は合ってないので唸るような音の響きの中にいるとなんともいえずいいのですね 。その良さはとにかく理屈ではないのでしょう。 私は高校時代からフルートを 吹いていましたので、二つの同じ高さの音が有れば必ず音があっていなければな らない。合わずに唸りが生じては絶対いけない。そう思って生きてきました。  しかし声明を聴くと、なんと音が微妙に合っていなくて、その合っていないのが 5人10人と重なって唸りになると、それが美しさになるという大発見でした。   また、大晦日などに聞くお寺の鐘(梵鐘)の音はどうでしょう。一つの破裂 音の後に来る「うなり」を伴って長く伸びる音に私などは「いいなあ」と感じま す。 いわば唸りを伴った余韻を聞いているのだと思います。 何を美とするか は環境や風土によって変わってくるでしょうけれど、梵鐘を長く日本人が愛して きたことから類推するとやはり鳴り始めた後の唸りを伴った余韻というものが” 美しい”と感じる伝統が有ると思います。  

翻ってこれを尺八に当てはめてみましょう。 古典本曲で自分も嬉しいし、聴 いている人も「いいなあ」と思う・・もっと言えば、その瞬間「生きていてよか ったな」と音楽を分かち合うには声明や梵鐘のようにすればいいのではないでし ょうか。 すなわち、江戸時代に普通にやっていた通りでいいのです。 ・古典 本曲を二人以上の尺八奏者が同じ曲を合わすつもりで、しかし完全には合わさず 、付かず離れず吹けば良いのです。(師匠と弟子ではなくお互い対等の関係の方 がいい)  これが古典尺八を現代によみがえらす方法ではないでしょうか。  ただし、これは江戸時代から余り変わっていない古典本曲に限ると思います。  「竹籟五章」など近代に入って「個性的である事が芸術的」という考えの元で 成立した本曲はかえって連管で吹くとダメだと思います。 作曲した人の目指す ものが違うからです。但し、例えば琴古流本曲でもきわめて明治以降個性を出そ うとしていろんな技法を入れてきた曲「巣鶴鈴慕」などはこの限りでは有りませ ん。  その意味では明治に中尾都山が都山流本曲を作曲するときに連管の曲を たくさん作っているのは賞賛に値します。(ただ明治のこととてまだ古典になる には時間がかかるかも知れません。)  私の流派で言えば、琴古流本曲を聞い てもらう演奏会などでどうしても単管で吹かなければいけないときもあります。 わたくしは「本曲はいいな」と思っていただく為には、曲自体に助けられるとい うものを探します。すなわち、曲中に特殊技法が入り、曲構成がハッキリしてい るという曲です。 そういう曲を私の独断と偏見で選んでみますと、、「鹿の遠 音」(むら息、本当は連管で掛け合いたいのですが)「巣鶴鈴慕」(巣ごもりパ ターン、玉音)そして、特殊な調により雰囲気のいい曲として「山谷菅垣」リズ ミカルな分かりやすいものとして「下がり葉」が挙げられます。  

いずれにしましても、 全国の尺八愛好家で、全く同じ事を吹く「尺八三人衆 」「尺八五人衆」というものがたくさんできればいいなあと思います。



(F氏よりのお便り) 会報50号の「唇の周りの適度な緊張について」の記 事がよかったです。 唇の作り方については、殆ど参考になる教材がなかったの で、かつてフルートの教則本を買ったこともありました。それはそれで大いに参 考になったのですが、いまだに「これだ」という吹き方は見つかりません。(そ れが見つかれば苦労はないのでしょうが)今後も追求し続けてゆくことになるで しょうが、力のいれ方(抜き方)という点で、この記事は明確なヒントとなりま した。 「学ぶ」は「まねぶ」からきている、ということを聞いたことがありま す。尺八を学ぶ上で大切なことは何だろうかとよく考えます。 数年前、横山勝 也先生のビデオで衝撃を受け、うれしくて「まねて」、何曲か暗譜したりしまし た。でも、これでよいという手ごたえがない。やはり直接アドバイスを受けたい と思いました。

●自分と比べ圧倒的な師匠につきたいという気持ちはたいへん大事なことです 。 何時までもその心構えを大切にして下さい。 しかし自分と比べて圧倒的に 上手な師匠と言うのはなかなか見つかりませんね。 できるだけ色々な情報を集 めいろんな演奏会にいったりして師匠を見つけて下さい。(貴志 清一)

(菊地 氏より) 拝啓、昨今にわかに秋らしい風が吹き始めました。 その 後、お体の方はいかがでしょうか。尺八吹奏研究会の方も色々とお骨折りを頂い て本当に有り難く思っております。 会報の「琴古流尺八史観を読む」では小生 の知らない事実などを教えて頂き、感謝いたしております。 また、「メリ音の 練習」は多くの方々からご感想等があった由、多少なりとも皆さんのお役に立っ たかなと嬉しく思っております。そして琴古譜作成の堀様にも感謝申し上げる次 第です。 現在箏の方と時々組んで演奏しております。町の年1回の芸能祭に1 2回ほど出演しておりますが、来年は「春の海」をしようかと話しているところ です。 永井様ご夫妻に送っていただいたテープなどを活用してただ今勉強に入 りましたが、色々な方々のご演奏を聞かせて頂きたいと思っているところです。   いよいよしのぎやすい時候となります。お体くれぐれもご自愛の上益々のご 活躍をお祈り申し上げます。


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