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 尺八を吹く---巧拙に無関係、ただ吹くと気分がいいからです

  (グループホームでのボランティア演奏:音源)
 
 尺八を吹くことを趣味にしていると色々な楽しみ方があるのが分かります。民謡尺八で自分の好きな曲を唄い、かつ尺八でも演奏するというのは良いものです。そして少々上達しますと唄の人の伴奏をしてあげられるという楽しみもでてきます。
 尺八本曲を究わめる心構えで一音一音に魂を込めて吹くというのも充実した時間を楽しめます。
 新曲・現代曲を中心として琴との合奏に情熱を傾けるのも良いものです。西洋のフルートでは真似のできない音色で現代の感性を表現していくというのも楽しいものです。
 本曲・合奏曲は苦手で、流行歌をカラオケに合わせて吹きまくるというのもまた一つの楽しみ方です。
 いずれの場合でも、基本は「尺八を吹くと気分がいい」ということから出発しています。
 お風呂に入ってゆったりくつろいでいるとき、鼻歌の一つや二つはでるものです。エコーもかかってなかなかいいものです。その時、「音程に気をつけなければいけない」とか「歌詞の意味を深く考え適切な旋律で歌わなければならない」とかいったことは考えるでしょうか。音程など気にしないで歌いますよね。それは根源的には「歌うと気分が良い」からです。
 尺八を吹くというのも、それが「気分がいい」からです。もちろん技術的に未熟な段階では満足な演奏はできません。しかし、「尺八を吹くということ、息を竹に入れる」気分の良さは初心者からプロまで共通しています。
 一番怖いのは尺八を吹きたいという憧れを持っていた初期の気持ちを忘れることです。お稽古を待っているときでも、自分より技術が上の人と自分を比べて練習意欲をなくす人もいます。上達への強い意志は大切ですが、人と比べて「自分の演奏なんか価値がない」と思うのは大きな間違いです。人と比較して優った奏者しか吹く価値がないとすれば、トーナメント式に考えると尺八界でたった一人しか吹く資格がないことになります。
 そんなことはないですね。巧拙は運命の神様に預けておいて、とにかく「下手でも尺八を吹くと楽しい」ということを決して忘れないようにしましょう。
 もう一度まとめてみますと、
「尺八を吹く。それは巧拙には関係ありません。ただ吹くと気分が良いからです。そしてその良い気分を奪う権利は、だれも持っていません。尺八を吹くことの気分の良さを奪うのは自分自身です。他人の演奏から学ぶのではなく、自分と比較してしまう自分自身なのです。」
 
 ところで、自分が良い気分で吹いている音を他の人が喜んでくれるというのは、またまた気分のいいものです。
 私事に亘りますが、縁があって月に一度高齢者のグループホームにボランティア演奏に行っています。家から歩いて15分ほどのところにあるグループホーム・ホリという施設です。
 今日もその演奏日でした。カラオケCDを持ってラジカセで再生して尺八をそれに合わすというものです。
 尺八を吹くと気分が良い、そしてそれを聞いて気分が良くなってくれる人がいる、そういう例として少し今日の演奏を紹介します。
 
 平均85才くらいの方々が30人ほど談話室兼食堂に集まっていらっしゃいました。もう7,8回目ですので私の尺八は耳慣れていらっしゃいます。
 1945年の敗戦を青春まっただ中で過ごした方もいらっしゃいますので「岸壁の母」を1曲目に演奏しました。
 つぎに「ここに幸あり」です。歌詞を覚えていらっしゃる人が一緒に歌ってくれます。
 (ここに幸ありの音源)
http://www.jm3.org/bmbnt/music/378-kokonisatiari.MP3
 古い歌が続きます。「黒い花びら」「君恋し」が3,4曲目です。
 尺八の音と日本語の歌は良く合うのではと思います。
(「君恋し」の音源)
http://www.jm3.org/bmbnt/music/378-kimikoishi.MP3
 田端義夫の「島育ち」を演奏し、倍賞千恵子の「下町の太陽」を吹きました。
(下町の太陽の音源)
http://www.jm3.org/bmbnt/music/378-shitamachino.MP3
 最後は坂本九の「見上げてごらん夜の星を」でした。
 (見上げてごらん夜の星の音源)
http://www.jm3.org/bmbnt/music/378-miagetegoran.MP3
 吹き終わって、やはり「気分がいい」と実感します。
 私の演奏で「聞いて良かった」「いっしょに歌えて良かった」「良い気分になった」とたった一人でも思っていただけたら、それは嬉しいことです。まさに「聞いてもらえて、気分が良い」ということです。