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一節切特集3「一節切と竹生島」
 
 竹生島といえば厳島神社(広島)、天川弁才天(奈良)と並ぶ日本三大弁才天の一つです。しかも聖武天皇が天照大神から「江州(滋賀)湖中に小島あり。弁才天降臨の聖地なり。堂塔伽藍を建立して祭供すれば、国家泰平五穀豊穣万民利益多からん 云々」とのご神託をうけ、勅使を行基の元に遣わして詔を下して開基させたという、たいへん由緒あるものです。

 (竹生島の全景)

   竹生島は弁才天を祀ってあります。弁才天は特に〈芸能向上〉と〈商売繁盛〉の霊験があるといわれています。尺八が上手になりたいと願う人にとってはありがたい神仏です。
 竹生島は日本で一番大きい琵琶湖に浮かんでいます。正確に言えば琵琶湖の水面に頭を出した岩塊です。昔の人々は自分たちの住む世界を金輪とし、その下に水輪、さらに風輪という風に構成されていると考えました。竹生島は地下の金輪と水輪の境目(際きわ)から生い出でている、すなわち金輪際(こんりんざい)から突き出ている不思議な島としてそれ自体が神仏であると考えてきました。
 その不可思議な力を持つ弁才天の持ち物はなんといっても琵琶でしょう。琵琶湖に在って芸能を司るのですから。

(弁才天の写真)
 
 その芸能守護の例として『平家物語』巻七「竹生島詣」があります。
 邦楽を研鑽する私たちにとっても興味深い内容です。
 時代は平安末期。全盛を誇った平清盛が死に北陸では平家打倒を目指す木曾義仲が挙兵。平家の維盛は北陸へ進軍しますが清盛の甥の経正は未だ近江にいます。竹生島の弁才天にたった一度でも参詣した人は所願成就するということで舟で渡っていきます。
「頃は卯月の八日のことなれば、緑に見ゆる梢には、春の情けを残すかと覚え」て舟から上がり社殿にて願い事を一心に祈ります。
 「やうやう日暮れ、居待ちの月さし出でて、海上も照り渡り、社檀もいよいよ輝やきて、まことにおもしろかりければ」竹生島常住の僧たちは経正が琵琶の名人と知っていたので琵琶を差し出しました。
 経正は琵琶を手に取り"上玄"と"石上"という秘曲を演奏すると、宮の中も澄み渡り弁才天も思わず感応して、白龍の姿で経正の袖の上に現れました。
 経正はかたじけなく、また嬉しさのあまりに感涙の涙にむせび、
 千はやぶる 神に祈りの 叶へばや
 しるくも色の あらはれにける
と歌を詠み竹生島を後にしたのでした。
 
 ここでは音楽の持つ不思議な力を、あらためて考えさせられます。 すばらしい音楽は異界の神々も感応するのですから、生身の人間が感動するのは当然です。そしてその感動は生きている喜びにも繋がりますし、永遠の時間・無限の空間すらも感じさせてくれます。
 短絡的ですが尺八本曲も経正のように、鬼神も泣かすほどの演奏をしたいものです。
 
 さてこの物語にもあるように、弁才天は姿を現すときには龍の形となります。そして龍にもいろいろありますが、代表的な龍は難陀、跋難陀等々、八大竜王と称されるものが代表です。
 実は琵琶湖には八大竜王が住んでいます、もしくは住んでいると信じられてきています。
 とくにこの竹生島の龍神拝所は琵琶湖に面しています。ご神体を祀ったものはなく、琵琶湖そのものに向かって拝むのです。
 
 日本文化の中で「龍」「竜」は普遍的ともいえるほどに浸透しています。
 人名では坂本龍馬、芥川龍之介。
 地名では天竜川、龍神温泉、龍門山(和歌山)。それに九頭竜川。 これなど川そのものが9つの頭を持つ竜に見立てられています。
 絵画の竜虎図はよくあるモチーフです。端午の節句に鯉が瀧を登り切ればたちまち龍になるという昇竜。
 物語に出てくる龍は数えれば切りがありません。
 それでは我々が日々研鑽している邦楽の世界での龍はどうでしょうか。
 まさに龍の笛、"龍笛(りゅうてき)"がそれにあたります。
 能管や篠笛の元になった雅楽で使われる横笛です。それは、
「舞い立ち昇る龍の鳴き声」を模した笛なのです。E5という一尺六寸管尺八の甲ロから上に2オクターブ近い音域を持ちます。西洋のソプラノリコーダーに近い音域です。雅楽の合奏の中にあって、広い音域を生かして低音から高音まで駆け抜ける音色はまさに龍の鳴き声そのものです。
 ここで「越天楽」の始めの部分の龍笛を聴いてもらいます。

(「越天楽」の音源)

http://www.jm3.org/bmbnt/music/381-1.mp3

 この龍笛を聴いて、「おや?、どこかで似たような音を聴いたことがあるぞ!」と思いました。
 そうです。一節切の音色です。
 一節切演奏「小児」をお聴き下さい。

(「小児」の音源)
http://www.jm3.org/bmbnt/music/381-2.mp3
 
 日頃は吹かなくてお蔵入りしている古管2本ともよく考えますと龍笛に似ています。古管一節切を吹いて十数年になりますが2018年3月28日に竹生島詣に行き龍神拝所から琵琶湖の龍を想像して、はじめて気がつきました。

(龍神拝所の写真)
 
 一節切は龍笛に似て、この世ならざる異界の音色をめざしていたのかも知れません。1608年の記年がある大森宗勲著と言われる『短笛秘伝譜』に80曲ほど一節切独奏曲が掲載されています。実際に吹いてみるとどれもこれも短くて似たような音型で音楽的な変化に乏しいと言えます。
 
 しかし「音楽的変化」を楽しむというのは現代の発想、価値観であって、その尺度で昔の音楽文化を判断してはいけないのです。
 よく分かりませんが、一節切の音色そのものを賞味する、またその音色が異界との交流の手段にすらなると古の人は考えたかも知れません。
 そういう深い思考に導いてくれたこと、そして我が身の尺八本曲の受け止め方反省する良い機会になったこと、それらはもしかすると芸能守護の弁才天の御利益かもしれません。