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HP417号本文
タイトル:
「金谷上人御一代記」から分かる江戸後期の趣味尺八  -付:無観客コンサート2020.5.29より「下り葉の曲」
                                                                    貴志清一
 まず"金谷上人(きんこくしょうにん)"ですが、1761年に生まれ天保3年1832年に没。
 日本歴史上の重要人物ではなく少々蕪村風の絵を描いた江戸後期の人物です。
 浄土宗の僧として21才で京都・金谷山・極楽寺の住職になった才気煥発な人物です。
 その人生は常に放浪癖に支配され、また持ち前の好奇心でいろいろな話題に事欠かない風来坊。
 晩年に自分の半生を自伝風に残しました。これが『金谷上人御一代記』です。
 さいわい原本のひとつが国立国会図書館デジタルライブラリーで閲覧できます。
 また訳文が『金谷上人行状記-ある奇僧の半生』(東洋文庫37平凡社)にあります。


 もちろん金谷上人は実在の人物でその内容もほとんど実際にあった話なのですが、
 注釈者によりますと若干の創作もあるそうです。また現代語訳自身、訳者の私的な意見が
 本文の中に挿入されていて少々恣意的なものになっています。
 ですので、この本の扱いは原文と対照して読むのがいちばんいいと思います。
 さて、この金谷上人のいろいろなエピソードの中に江戸時代後期の尺八や虚無僧を
 いきいきと描いたものがあります。
 尺八史を「琴古流尺八史観」、「明暗寺文献」「琴古手帳」「普化宗史」などで江戸時代の尺八や
 虚無僧のことがおぼろげながら理解できても、それが実際のその時代を生きていた人々がどのように
 受け止めていたかというのは分かりません。
 傍証といってもよいのですが、その尺八・虚無僧をめぐる実態がこの「金谷上人」の自伝によって少々窺えます。

1.「喧嘩尺八」
 1700年頃までは一般的だった普化尺八の祖型としての三節切(みよぎり)。
 虚無僧尺八の最初の教則本「三節切初心書」(古典文庫)はだいたい1700年前後のものですので、
 この時代は三節切が中心だったと思われます。それが以降、根節を使った七節ぐらいの虚無僧尺八に移行します。
 根節を使えば先ず乙ロ、低音域が安定します。
 また鳴りも格段に良くなります。自然な逆円錐管として音程、とくに甲音乙音のオクターブ関係が良くなります。
 それで七節を中心とした虚無僧尺八になっていくのですが、根は硬いので喧嘩のときに使えるということで
 「喧嘩尺八」とも言われました。
 実際に「喧嘩」の場面で使われたことがあるのでしょうか。

 この「金谷上人御一代記」にドンピシャ喧嘩に尺八を使った記述があります。
 (東洋文庫「金谷上人行状記」p19、以下ページのみ)
 「・・・悪党ども、・・・三島の宿を東に離れて南に入れば、そこは一面の墓地である。
 さあ勝負しようと、一人は(粋にも)尺八を振り上げて上人の眉間へ打ち込んできた・・・」
 これは小説ではなく自伝ですので、実際に尺八が喧嘩に使われた証拠になるでしょう。

2.京都池田大仏(町)明暗寺と免状発行(宗縁)
 『琴古手帳・明暗寺文献』(虚無僧研究会問い合わせにて入手可能)にもあるとおり、
 関西方面の虚無僧本山は京都の明暗寺でした。
 これは池田大仏町にあると記されていますが「金谷上人御一代記」には正しくその通りのことが書かれています。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~komuken/
 明暗寺、そして関東の一月寺・鈴法寺も同じなのですが実際の門弟ではなく、
 尺八を吹いてみたいという一般の人間にも「仮の免許」として本則を発行したようです。
 その一形態として「宗縁(しゅうえん)」という言葉が史料にありますが、
 これが実際の社会で機能したことがp34でわかるのです。
 道楽として尺八を吹くために「宗縁」という形で尺八を習い、虚無僧姿で洛中洛外を門付けしたこと。
 そしてその姿は華麗な衣装で吹き流したことが金谷上人の若いときの姿です。
 1761年生まれで20才代ですから1780年代、ちょうど江戸では2代目琴古が製管に、演奏に活躍した頃です。
 因みに2代琴古はなんと九州宇土藩のお殿様・月翁の尺八の先生でもありました。
 このころ「伊達吹き」(だてぶき)が流行したことも分かります。
 すなわち、人に見て貰いたいが為に道楽で尺八を習い「紫色の小袖、金糸縫いの伊達(尺八)袋、
 三枚裏の草履といった華麗な身支度で、家々の軒先を巡行する」のである。
 おまけにこの史料は当時の尺八曲も伝えています。
「笛の曲も、虚霊、虚空、霧開箎(むかいじ)の三曲から、三段、獅子、下がり葉といった
 少々戯れた曲に至るまで、ことごとく通暁してしまった」のが金谷上人。
 私の修得した琴古流古伝三曲の「虚霊,虚空、霧海箎」がこの頃でも大切な本曲として
 扱われていたことが分かります。
 また音楽的に吹いていて面白い「下り葉の曲」はこの時代の人も「戯れた」(楽しい)外曲として
 吹いていた様子がわかります。

 さて、 上海ウイルス(コロナ)による計り知れない社会の混乱、とくに芸能関係への衝撃はたいへんなものがあります。
 6月からは緊急事態宣言が解除とのことですが、世の中が元に戻るには相当時間がかかると思います。
 3月4月5月と予定があったコンサートもすべて中止ということで、せめてHP上で上記の「さがりは」を演奏いたします。
 どうかお聴き頂ければ幸いです。

(音源: 下がり葉)
http://www.jm3.org/bmbnt/music/417-sagariha.mp3
  
 この「金谷上人行状記」は東洋文庫ですので比較的入手は容易です。
 この尺八以外の記述もたいへん面白いので、ぜひ一度読んでみてはいかがでしょうか。
 (東洋文庫は大抵の公立図書館では揃っています)
 なお尺八関連の訳文に少々問題がありますので、国会図の原文とその翻刻を史料として掲載いたします。

(画像「翻刻と原文」)