会報 No.75
 
甲ロの特性と「折り」の技法について
貴志 清一
 本研究会の会員より以下のお便りをいただきました。引用させていただきまして、私見を述べさせていただきます。
 
(Mより)
質問します。
 毎日のウォーミングアップの内、
甲チ→ロ、甲ヒ→ロがスムーズに移れません。竹によって出やすい、出にくいがあるのでしょうか。
 また、「鹿の遠音」を練習していますが、「折り」がうまくいきません。はっきりと音の高低が表現できません。「折る」時、首を横に振るのはどのような原理・効果があるのでしょうか。
 
 さて、甲チ→ロ、甲ヒ→ロがスムーズに移れないのは自然だと思います。
 従って竹によって出やすい、出にくいはあまりないようです。
 むしろ、尺八本来の性質ではないでしょうか。
 だからこそ、琴古流以前になりますが、元禄ごろの「三節切初心集」をみても「フ」(今の甲ロ)に移る前は「タ」(今の二四五のハに近い)を使っています。
 琴古流では甲ロに行くとき、二四五のハを一瞬聞かせます。そうすることによって音がはっきりできますし、安定して甲ロの響きを出すことが出来ます。
 ですから、毎日のウォーミングアップでも甲ロを出す前は一瞬、二四五のハを入れて尺八らしい響きをつくって下さい。
 
 また、「鹿の遠音」に限らず『折り』は尺八の基本です。この折りがうまく使えますと、曲が生きてきます。はっきりと音の高低が表現するには「折る」時、首を横に振ります。
 これは、首を横に振ることによって歌口の面積を狭め、それによって音程を下げるということなのです。
 もちろん首を縦に振っても同じ効果は得られますが、縦に振りますと私の場合歌口が不安定になります。
 それで首を横に振ることによって「メ」って「折り」をします。
 私のビデオをみて真似してください。
 
中国の洞簫(どうしょう)演奏を聴いて
日本の尺八の首振りはいつ頃から始めたのか〜
〜尺八でピッチ(音程)ピッチと言い過ぎることへの警鐘〜
貴志清一
 過日大阪の民族学博物館で「研究公演:静寂の雅−台湾の南管音楽」を聞く機会に恵まれました。
 南管音楽は中国南部の福建省に興り、長い歴史を持つ伝統的な室内楽の形態です。現在では台湾・香港をはじめ、シンガポールやフィリピンなど、東南アジアでも演奏されています。
 弦楽器の琵琶、三弦、二弦、尺八に似た洞簫、それに打楽器が加わった小編成で演奏され、しっとりとした音楽が多いのが特徴です。
 さて、私は尺八を始めて20年以上も経っているのに、日本の尺八と近い楽器である洞簫を、プロの演奏で聞いたことがありませんでした。もちろん、洞簫は吹いたことはあるのですが、それは尺八風に勝手に吹いたのであって洞簫の音ではありませんでした。
 楽器というのは、それ自体で独立したものではなく伝承されてきた曲、演奏スタイル、演奏法があって初めて成立するものだという良い例といえるでしょう。
 
 演奏内容は文章ではお伝えできませんので、この尺八と親戚のような洞簫の演奏についての感想を述べます。
 
1.ケーナのように半楕円形ように切り取った歌口なのでこもったような音色です。また、尺八のように音の自由が効かないので比較的単純な響きです。
 
2.歌口の構造上、低音域が豊かではないので、尺八の乙ロのブォーというような音色はでないし、またそういう音も求めていないようです。
 
3.ヴィブラートに(ゆり)はフルートのように腹と喉で上手く歌うようにかけていました。
 もちろん“首振り”はしていませんでした。
 尺八はもともと古代尺八にさかのぼるので中国からやってきたものでしょう。
 ところが、中国の洞簫は“首振り”の技法はありません。これは楽器の構造上難しいのかも知れません。
 ほんの少しの首の動きで素晴らしく自由自在のヴィブラートがかけられる尺八は世界の楽器でも珍しい部類にはいるでしょう。
 
 ところでこの“首振り”はいつ頃からあったのでしょうか。未だ確かめていませんが、江戸時代の文献に“首振り”の技法を示唆するものがあると聞いたことがあります。
 首振りの発生時期がわかったとしても、大したことはないのかも知れません。
 しかし、今回の洞簫の演奏を聴いて改めて、尺八における“首振り”の技法を編み出しそれを支持し伝えていった先人の営みの偉大さを確認した次第です。
 
 話は変わりますが、この洞簫の歌口付近を見ますと尺八とは目指すものがちがうなと思いました。
 歌口はほとんど蓋をしてしまって、エッジの切り込み部分のみが外の空気とつながっているので尺八のように激しく音程を変えるのは不可能だと分かります。また、指孔はあくまでも6孔です。 
 尺八とフルートを比べると、その目指すものが余りに違いすぎますので返って尺八の特性が見えにくくなります。
 しかし、同じ竹で出来た外見を少し見ただけでは区別の付きにくい洞簫と尺八を比べることによって尺八の特性が見えてきます。 私に限って言えば、尺八の特性のひとつは決まったピッチにこだわらない楽器だと言うことです。洞簫は音程が割合安定しています。
 今、尺八は現代邦楽に限らず他の楽器との合奏が多くなりピッチを厳密に合わそうとすることが多いですね。これは尺八奏者にとって大変辛いことです。
 元々ひとつの指使いで半音を上下することは朝飯前で、「リ」などは上下一音ずつ4半音分も出せる尺八で、1Hz・2Hzの違いをも許さないというのは全く辛いことです。
 ひとつの音を大きく出しますと、普通に吹いていれば半音近く音が上がってしまうのは自然なのです。それをff強く吹いても、弱い時のピッチのままで保つのは、出きることは出きるのですが、何か不満が貯まります。
 本曲ではピッチピッチとは言いませんし、また、言ってはいけないのです。気持ちが高揚して音が大きくなれば音程もうわずりますが、その音程のうわずりが良いのです。そこに美を感じるのです。
 先人たちは尺八の音程の不安定さを、短所ではなく長所にしてきたのです。今でも残る琴古流の甲の「ウ」はチメリよりは低いのですが、レよりは高い、いわゆる微分音です。一見音程が狂ったかのような音が実は良いのです。
 現代の作曲家でもこの尺八の特性を「美」と理解した人が少なからずいます。例えば諸井誠氏で、彼は「竹籟五章」を作曲しました。
 音が大きくなれば音程がうわずる良さを意識して曲を作っていますし、コロなどの楽音以外の効果を十分理解しています。
 現代音楽家ではないのですが、ほとんど作曲したかのような海童道祖の本曲は、ある伸ばす音など“半音ぐらいまで上がる”と注記してます。彼は尺八の特性を十分理解していたのでしょう。
 
 そう考えますと、西洋の和声の入った伴奏で「浜千鳥」などを吹くのは、それはそれで良さもありますが尺八としては主要なことではないと思います。
 尺八の本道はやはり、尺八本曲だと私は思います。
 ですから拙いですが、自分の演奏会には必ず「本曲」を入れるようにしています。その上で、自分の楽しみと聞いてくださる方のために「日本の歌」を演奏したりします。
 とりとめのない文になってしまいましたが、尺八吹奏研究会会員皆さんのお考えもお聴かせ下さい。