インターネット会報 2002年2月号(元会報163号)
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【論説】
「“舌のせ”秘伝は出発点の一つ」
藤田和明
 
 会報159号(インターネット会報2002年1月号に部分掲載)の記事中「舌を下歯の上に置いて吹く」ことについて、実践者の立場から一文を書いてみました。
 込み入った書き方をしていますが、背後に私なりの認識論があるためややこしくなっているのです。
 またいずれそのこと自体を述べることもあるかと思いますが、とりあえず「舌のせ」をどう解くか述べたつもりです。
 簡単にいえば、「舌のせ」は最も大事なこととはいえないので、あまりとらわれない方がよい、ということになります。かといって無視して良いことでもないのです。文の流れの中でとらえてみてください。
 
 尺八について書くときに気をつけねばとおもっているのは「自分で行っていると思っていること」と「実際に行っていること」が食い違っていることが多いということです。
 たとえば会報159号の「鼻から吸うか、口から吸うか」ですが、自分では「普段は鼻から吸っていて、一度に大量の息が必要なときは口で吸っている」と思っていました。ところが確かめてみますと、ほとんど口でした。このずれは自分でも驚きでした。(余談ですが、鼻で吸う方がブレスに時間がかかり、息継ぎ時の息の音も大きくなるように思います。どうですか?)
 
 同じく159号の「舌を下歯の上に置いて吹く」ですけれども、私はたまたまそのように吹いています。先の食い違いということでいうと、こちらにはまた別のずれがありました。すなわち「自分で実際に実行しているが特に意識はしていなかったこと」と「自分で意識して実行していること」のうち、前者を指摘されて、あっと思ったのです。
 
 私は最近まで自分が「舌のせ」を行っていることを意識していませんでした。会報で「下歯による気流の乱れ」が取り上げられたとき、自分はどうなのかと思って注意を向けたところ、実行していることが分かったのです。
(このときは「舌でふたをしている」と表現したお便りをK氏に差し上げたように思います。口腔前庭を使用しない吹奏をしていることは分かっていました。)
 
 おそらくこの方法は、尺八を初めて三年すぎたころから試行が始まったと思われます。どうやら出来るようになった舌の玉音ができなくなり、のどの玉音の方が長く安定して出来るようになったのがこのころだったと記憶しています。
 
 この当時挑戦していたのは、少なくとも三種の音色を使い分けたいということでした。その一環として、艶やかな音を響かせるには口中の空間が広い方がいいのだろうか、などと考え、あれこれ試みていた時期です。
 
 自分のイメージとしては、口蓋を奥と上方へ広げる力を感じるように吹いていたと思うのです。この感覚は今でもあります。このとき舌はというと−まるで意識されていなかったのです。良い音を探っているうちにいつの間にか「舌のせ」をしていたというほかありません。
 
 今回あらためて様々な音を吹いてみました。結果、「舌先が下唇裏に触れたままの舌のせ」で何ら問題なく吹奏できます。また舌の上にビー玉をのせたかのように下方へ舌をくぼませて吹いているような感覚もあるようです。(これらは自分のイメージとしてこのように吹いているというもので、ここの筋肉がこうなっているとは明示できないのが苦しいところですが・・・)
 
 注意を促しておきたいのは、音をコントロールする上で「舌のせ」は注目点ではないということです。ほとんど無意識になっています。注目点は「自分の出している音」です。当たり前ですね。「舌のせ」はほとんど無意識に感知されている諸要素の一つです。
 
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 吹奏法を伝達するということは、これら諸要素を上手くクローズアップし言語化して、相手のイメージの一部とし、相手の吹奏の一部に取り込ませる働きをします。ただ、要素の一つにすぎないものにいつまでも注目させていては、吹奏全体が上手く機能しません。
 
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 「下歯の上に舌を載せて練習するように」というアドバイスは修得の出発点としては意識されて良いが、このアドバイスだけでは「最終的には注目点からはずれるべき舌のせという感覚」をいつまでも意識させるために、かえって音のコントロールの完成を妨げる結果となってしまいます。
(「1.5倍鳴る」ということについて・・・「音のコントロールが大いに向上する」くらいの含意で、単純に音量の大小のことではないと理解しています。)
 
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 「舌のせ」を秘伝と受け取るよりも、「出発点の一つ」として試行していった方がよいと思います。
 私は別の感覚から出発して、結果的に「舌のせ」を一部とする吹奏を行うに至りましたが、「舌のせ」しない方がうまくいく人もいるかもしれません。私自身もおそらくは完成することのない試行の中にいるのです。