インターネット会報2002年6月

【論説】
久松風陽「独言」の紹介
貴志 清一

久松風陽の「独言」は文政元年(1818年)禅器尺八を志す者の心得として書かれました。 久松風陽は琴古流尺八の名手で、普化尺八に大きな精神的な影響を与えた江戸末期〜明治初年の人です。 私も琴古流を学ぶ者として、この資料は時にふれ読み返します。 何度読んでも得るところのある文章ですので、紹介させていただきます。(私の持っている「独言」はガリ版刷りの印刷の良くないものです) 

この文の紹介に当たり、私の補足説明を入れようと思いましたが、やはり、先入観なくお読みいただくのがいいと存じまして原文のみ掲載いたします。 因みに、初代黒沢琴古(1710年生まれ)から琴古流本曲は伝承されてきたのですが、私は琴古流を山口四郎師のご門弟の松村蓬盟先生に学ばせていただきました。従いまして、系譜をたどれば久松風陽から、初代琴古にまで遡れますので感慨の深いものがあります。
    
久松風陽「独言」

○尺八を学ばんとするものまづ雑念を払い欲に離れ勝劣のこころを去り気を臍下へしづめ己が竹音に聞しむるを要とす 故に眼を閉じて吹へし 初心は殊に眼を閉じざれば雑念発(おこ)るべし

○尺八を持つにすべて強く持つべからず 強く持ば心凝出(こりいづ)べし こりあれば心を練ることあたはず、凝は尺八の病と知るべし 右の大指と中指二本はしっかりと持つべし、是とてもつよく持つにはあらず

○たけに格あり 格は則譜面也 格を破るを法外とす くれぐれも譜面に違事なかれ

○めりかり殊に肝要なり 滅浮(めりかり)なきは棒吹きといふて嫌ふ 音はいかにも手強なるがよし 荒々しきは不好

○初心より美敷(うつくしき)音のむまみ(旨味)を修行すべからず、音艶むまみは出来るを好んで出かすを嫌ふ

○曲を吹くに初めより終わりまで蓮の茎をおりたるごとく縁のきれざるように吹くべし 息の切目、つぎめに心をつけて吹くべしおのづから初めよりの縁(ふち)切れざる様に吹くべし ツキイロナヤシなどみな縁のきれまじきためなり

○曲にほど拍子あり肝要也 程を失ふべからず 静なるはしずかなるに程あり はやきは早きに程あり 曲毎に程拍子同じからず 能々(よくよく)修行すべし

○初心は先ず業(わざ)を修行すべし 業成て気合を修行す 上手は業あらず気合にあり 気合の修行は業にあり 業ならざれば気合いた(至)らず 初心にして気合にかかはる時は生涯竹道の理屈者と成て果(はつ)べし 迷ふべからず

○たけは鳴るが能きとてひたすら荒々しく吹きつづくるも悪し 和(やわ)らかに手強く吹くべし

○近世五穴の大なるを用ゆ さればとて小なるをあしきとする事なかれ 一ぱいに吹満(ふきみて)る時は大小同意なり 乍去(さりながら)修行は大なるを用ゆべし 小なればとて初心にしては一ぱいに吹く事かたし 是も大小同意也

○竹音はもの哀れにかなしく閑情なるを本意と覚えたる人あり笑ふべし 尺八を吹くは元来人に聞(きか)するためにあらず 己が心を練るの具也 本来無一物となる時は 是を聞人(きくひと)哀(あわれ)あるは益(ますます)かなしく楽あるは益楽しむ 哀楽は吹人(ふくひと)の上にあらず聞人(きくひと)の上にあり 不可疑(うたがうべからず)

○己が習得しと人の覚(おぼえ)しと曲の違(たが)う事あり共謗(そし)るべからず 連管の時は相手の人違う事あらば其手について吹べし 彼は是に吹勝(ふきかた)んとし是はかれに聞勝(ききかた)んとするときは竹音乱るべし 連管は尺八の本意にあらずといえ共 音を合せ人に和して修行とす 故にたかひにたすけたすくるを要とすべし

○余国の曲を田舎竹などと謗(そし)るべからず 幽玄の妙音なきにしもあらず 乍去かたくまねべからず 可考(かんごうべし)

○竹は初心より調子の揃ひたるにて学ぶぞよき 調子あしきたけにて学びつれば己が調子悪くなりて此道の邪道へおもむくべし 調子の善悪初心にして知る事かたし されども心切に学べばおぼろげにも知べし

○竹の調子にさまざまあり 凡(およそ)は出来たりとも一二すぐれたるは三四おとり 四五の程能(ほどよ)きは二三甲斐なし 五穴一つ一つ音声あざやかにして勝劣なきを名竹とす 甚稀にしてありかたし 大かた五穴たりふそく(足不足)ある竹に生まれ得たるなれば人作にして直すべき力なし 是等の竹は其調子にしたがひ己が業をもって調子を揃えて吹べし

○尺八をひらく師伝もなく己が細工のなるにまかせて何の差別もなく小刀をもって猥(みだり)に穴を掘り木賊(とくさ)むく(椋)の葉を費(ついや)してうはべにつやを出し初学の輩を惑(まどわ)して金銀を貪(むさぼ)る事 沙汰の限りなり 天然尺八の妙音を備えたる竹も 微運にしてかかるしれもの(痴者)の手に渡る時は 生涯かたはとなりて竹釘とさまを替(かえ)ん かなしからずや

○尺八を学ぶに曲の手続のみ覚ゆる事思ふ人多し 心得違(こころえちがい)の甚しき也 めいかり程拍子専要也 手続のみおぼへて後 己が見識をもって吹くは上手のうへにあり 初心より中品までの輩ゆめゆめあるべからず都(すべ)て其師たる者を真似るを第一とす 故に師を撰(えらぶ)を要として悪きに便(たよ)るべからず 手続のみ知りたき人は譜面にて事たるべし 手続のみ知りたればとて尺八とは言(いう)べからず くれぐれも尺八の尺八にあらざるを恐れよ

○おふかた(大方)の人少し尺八めきたる音の出る時はもはや我は顔に人を謗り我よりよきと思ふ人あれば忌きらひ便りて学んとする心はなく 陰言(かげごと)に難非(なんくせ)をつけて初心の輩を迷はす かよふの人生涯此道に入事あたはず 鳥なき郷にて入て正体もなき事を言ちらし俗人をたぶらかす 此故におのれが到らざる事あらはるる時は人にうとまれながき足を止むる事あたはず 浅間敷(あさましき)にあらずや 瓦と成て全(まった)からんより玉と成て砕るこそこころよけれ

○竹師たるもの己より能きとおもふ吹人あらば其人の竹音を我竹弟に聞かせ教え導くこそ本意なれ さればとて其竹弟はなるるもにあらず 其師其師の見識によるべし

○曲は一曲も吹かず今様の三絃に合せ しかも竹音をうばはれて尺八の本道を失ひ俗中の俗に対して猥に誇り 奴婢(ぬひ)を相手として己に慢ず 是等の者を此道の邪道と恐るべし 遠ざくべし 是等は全尺八にあらず尺八躰のものを鳴らし尺八の名を盗むの賊なり かかる者に禅器の大切なるを扱する事物躰(もったい)なし かよふの者あらん事を恐れて普化宗門に堅くいましめたるならん 然れども末世にいたるがゆへに 此道の端々(はしはし)へ湧出す 竹道執心輩能払除して是等を構のうちへ入しむる事なかれ

○爰(ここ)にいえるは竹道初学の輩道に入りやすく しかも邪道におもむかざるのあらまし也 手続吹かた等は其師其師のおしへを受けよ 穴かしこ  

此書久しく蔵し置といへども人ののぞみに依って文政寅三月ふたたび書写し畢(おわる)