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 「尺八オデッセイ」を読んで                   貴志清一  

クリストファー遙盟氏の著書「尺八オデッセイ」をもう読まれましたか。  故山口五郎師に師事した琴古流尺八の専門家で、その演奏には定評があります。  言葉と文化の外国の人が日本の伝統楽器を演奏し、しかもその専門家になるということについては、いろいろと難しいこともあるかと思います。それ故、その困難を克服する過程について書かれた「尺八オデッセイ」は私にとって大変有益な書です。  

考えてみれば、日本人が言葉と文化の違う西洋音楽を勉強する困難さと、外国人が尺八を学ぶ困難さとは共通項がたくさんあります。  私も十代の時はフルートを少し習っていました。その時、先生はいい音、たとえばビロードのような感触の音色を出すように指導しましたが、私はどうしてもハスキーな丁度尺八のような音色を求めていました。当然、自分の出したい音と、周りが求める音が違いますので、大いに悩みました。結局フルートから遠ざかってしまったのです。  しかし、現在、日本人の西洋音楽の専門家がたくさんいることを考えると、日本人だから西洋音楽ができないのではなく、たまたま私が西洋音楽に不向きであっただけだといえます。  

その点、クリストファー遙盟氏は日本音楽に向いていたと思われます。自分の理想とする尺八の音が山口五郎師の音色でした。本書p46にあるとおり、 「山口先生の音楽においては、太古のアジアや日本の偉大な文化に培われてきた神秘性や宗教性の高い尺八という伝統の流れと、現代音楽家としての洗練され磨かれた人生とが見事に調和している。だから、その演奏を聴いたときに我々(クリストファー遙盟)の内部から静かにわいてくる感動や憧れ」を持っていました。  このような強い尺八への情熱が、多くの困難を克服する原動力になったのだと思います。  ひるがえって、西洋音楽にたいしてずっと馴染まないものを持ちながらフルートを吹いていた自分が、いかにフルートに向いていなかったかが分かります。  今年で私は尺八歴25年になります。丁度生まれてから、人生の半分を尺八とともに過ごしたことになります。26歳の時止むにやまれず尺八を習いたいという衝動に駆られ、とりあえず民謡尺八の先生のところへいきました。それからのことは別の機会に述べますが、とにかく私も現在、琴古流尺八を吹き、とりわけ本曲を好みます。  本書にでてくるエピソードや体験は、若いときに私がフルートという西洋楽器に挫折したことから、よく理解できます。また、クリストファー遙盟は私と違い、尺八習得に成功しましたので、その経験は大変有益です。   たとえば、  p62「尺八では普通、音から音への移行は直接に行わない。必ず音と音の間に何らかの飾りを入れてから次の音やフレーズに移る。(貴志注:押し、当たり、スリ)  というのは、尺八音楽では直接的な表現よりも、間接的な表現の方が好まれるからだ。考えてみれば、これはやはり日本の社会と共通するところがある。一般の日本人は直接的な表現を嫌う。たとえば・・・以下略」  この文章は、日本人尺八奏者としてなんら疑問を持たないで当たりや、折り、スリをいれている私にとって、改めて自分を客観的に眺めるきっかけを与えてくれます。自分を知るという大切なことを本書の至る所で学びました。  話が長くなりますので、引用はこの辺で終わりにしますが、いずれにしましても、示唆に富む有益な本書「尺八オデッセイ」を読むことを尺八愛好家にお勧めしたいと思います。  
クリストファー遙盟著「尺八オデッセイ」(河出書房新社)定価1600円